蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

エンドレス・レイン

流行り廃りの激しい昨今で、「もう一人で歩けない」とか、言ってみたいのである。

 

ペンタである。

 

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最近わしを襲った様々な事象〈トラブルや仕事)のお蔭で、すっかりブログの更新を怠っていたわしであるが、プールに通ったり、フットサルはしていたのである。

 

さて、最近わしはあることに気が付いた。

 

現在日本を襲っているマンション問題。これの元凶は価格の安さであるという。先日あるBSの経済番組で知ったのであるが、日本の土建業界の諸問題の多くは、ありえないほどの価格の安さにあるらしい。

 

老朽化が進むインフラの点検、修復も、まれにマスコミで取り上げられるが、まともにやられているとは思えない。日本人はこういうところにはケチっているのである。やばくね?

 

他方で、やたら高いものがある。スマホの料金はその最たるもので、大手3社の料金は驚くほど高いままになっている。これは若者たちの相当の負担になっているはずで、若者たちはスマホの料金を払うのに懸命で、ほかのものを買う余裕がなくなってしまっている。クルマ離れなど、その典型例である。これは消費を冷え込ませる大きな原因になっていて、日本経済復活の大きな障壁となっている。そこで、安倍政権がわざわざ指導に入ったのであるが、これはとんでもない話である。

 

どうも日本では、一度値切りをすると徹底的に値切りをしてしまい、一度高いままに据え置かれると、ずっと高いままになってしまう、というなんだかおかしな現象が起こる国らしい。

 

日本の経済学者は、こういう現象の原因追及に務めてもらいたいものじゃ。

 

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日本の地デジのサッカー放送の質の低さも目を覆いたくなる。

 

先日、クラブワールドカップがあり、広島が頑張っているというので、3-6-1でどんな風に守備をしているじゃろうと、見ていたわしであるが、それがカメラのアングルが悪く、守備体形がほとんど見えないのである。

 

それでも我慢強く見ているうちに、どうも広島は守るときは4-5-1になっているような気がしてきた。ディフェンスラインは、4人でスペースを埋めているようである。となると、攻撃から守備に切り替えたときに、ボランチかあるいはサイドの選手が最終ラインに入り、4バックになるということをしているらしいのじゃが、誰がそれを行っているのか、どういう約束事があるのか、知りたいものじゃと思い目を凝らした。

 

というのは、あの日本人最強と言われたかつての磐田が3-6-1ではなかったじゃろうか?と思ったからである(違ったかな?)。

 

もしかして、日本人にみょーにしっくりくるシステムが、この3-6-1ではないか!と思ったのである。じゃが、磐田は、ゴンと高原の2トップだったような気がしてきたし、それに比べ広島は1トップ2シャドーという攻撃陣形で、違うといえばすごく違っている気がする。

 

それはともかく現在の広島は3バックだという。3バックというのは、ディフェンスラインの左右のスペースが空きやすく、ここが弱点になりやすい、とはよく聞く話である。

 

じゃが、広島はここ数年ずっとこのシステムで戦い、しかもかなり勝っている。わしは見直してしまうことにしたのである。

 

いったい広島は両サイドを、どうやってケアしているのじゃろうか?

 

じゃが、日本のテレビ中継はそんなところは全然映さないのである。ボール周辺ばかり寄り気味で写すミーハーはカメラアングルで、なんともがっかりじゃった。

 

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他方で、スペインではバルセロナに完敗したレアルがその後復調した試合もあった。あのクリロナが必死で守備に走っていたのである。それは守備が機能するじゃろうて。

 

他方で、バルセロナは一時調子を落とし、勝ちきれない試合を続けながら、日本にやってきた。そしてなんとか勝っていった。ロシア上空があまりにも気象条件が悪く、帰路15時間にも及ぶフライトであったという。

 

年末にもう一試合するようである。

 

さて、バルセロナが日本でわいわいやっている週末、レアルはラージョと試合をした。ラージョのパコ・ヘメス監督は、前からのプレッシングを徹底させる監督で、チャレンジ&カバーならぬ、チャレンジ&チャレンジという「勇猛な」守備をする。

 

身近な例で言えば、わしペンタとマサが組んで守るようなもので、とにかく前へ前へ、抜かれても抜かれても前へプレッシングをかけ、後ろは足りなくなるというような、めちゃくちゃな守備をする。そういうたぶん世界で一番無茶な監督である。

 

じゃが、しかしパコ監督もリーガの監督であるからにして、おそらくこれはこれで守れるはずという計算はあるのじゃろうし、実際昨年の試合よりは守備が洗練されてきている。

 

いやいや大したものである。こういう人がやらないユニークな戦術で、あっと言わせるような気質、そういうものが実はサッカーの監督には必要な気がする。ペップのサッカーも、あっというような「狂気」を孕んでいて面白い。

 

しかも、ラージョの試合は滅法面白い。めちゃくちゃ面白い。ボクシングで言えば、常に乱打戦を挑むようなもので、ボクシングで言えば、メイウェザーのような守備が得意ですというタイプではなく、打って撃って挑みかかるパッキャオみたいなタイプなのである。

 

さて、そのレアル対ラージョ戦であるが、結局10-2という悲劇的な試合になってしまった。しかし、これは審判がラージョから2人の選手を削ってしまったせいである。赤紙が出る前、実はラージョは先制されるも勇猛に戦い、2点を取って逆転してしまったのである。

 

美しいゴールであった。

 

このままもつれる展開になり、レアルとふらふらになるまで打ち合うのか、とワクワクしてみていたら、このカード2枚である。

 

ところで、レアルの方は、4-3-3というもともと守備に不向きな陣形であるだけでなく、クリロナ、ベンぜマ(普段はもっと守備をするが)、ベイルの3人がやはり守備をしない人になっていた。

 

ハメスもあんまり守備には気がきかない。

 

こうなると、モドリッチとクロースの負担が大きくなり、中盤に大きなスペースが出来てしまう。

 

ラージョは、このスペースをついて、カウンターをしかけサイド突破!いくらでも得点が取れるような予感さえ漂った。

 

レアルの悩みは深い。

 

こうなってくると、ベニテスの顔は変態にしか見えない。

 

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ところで、本とか嘘か、モウリーニョマンUへ、ペップがマンⅭに行くという噂である。

 

モウリーニョはスペインからどれだけ選手を連れていって、やり散らかしているのに、既に次の就職先があるというのは、まったくもってマジかよと言いたくなる。

 

それ以上に選手を買い漁って、腐ったチームを作っているファン・ハールは、クビを覚悟して、弱気な発言を始めたようじゃ。

 

ところで、チリ代表監督のサンパオリ監督の注目選手は、U-23の中島翔哉であるという。よく見ているものである。たぶん、この人も変態なのであろう。

 

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さて、時代の風がみょーに強くなって来ておるが、

わしは紅白では、ゲスの極み乙女が楽しみである。

 

わしが中学生のころ流行ったプログレを少し日本人吹奏楽っぽくやっちゃっていて、きゅんとする。

 

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ドラムのほないこちゃんはわしの趣味である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後…

その後、わしはインターネット断絶の深い闇の中に沈んでいるのであった。かれこれ、ひと月になるじゃろうか。長い長い闇である。

 

地球泊の座談会にについては、実は血のにじむような努力の末、記事を作成した。詳細は省く。

 

じゃが、14日の夜には仕上げた。

 

15日は高校サッカー県予選の決勝があった。殿下大白鳥スタジアムに、わしはオヤックスのマサと出かけた。

 

当日は生憎の小雨交じりの天候で、わしらがスタジアムのに到着したころには入場がかなり進んでいて、ちょうど屋根のある部分の座席はほぼ埋まり、空席の座席には雨だれが落ちてくるという頃合いになっていたのじゃが、幸い女子高生の横に二つ空席があるのをみつけ、わしらおっさん2人は具合よく腰かけたのであった。

 

それにしても、雨具とペットボトルを用意していたマサに比べ、財布と携帯以外は何も持って行かなかったわしは相変わらずである。しかし、マサももう慣れっこであるので、それをからかったり、面倒見たりもしないのである。

 

試合には、わしらのおっさんのよく知っている子どもが一人(タツの子)と、少し知っている子どもが一人、それから、相手チームにも中学生の頃からわしが応援している選手が一人先発出場していた。そう相手は、かつて、あの、ドカベンが在籍した高校である。

 

この高校の2年生には、わしの親戚の子どももいて、わしは彼が誕生したときから、サッカー選手として応援しているのである。そう、ブラジル人の子どものように生まれたときのプレゼントとしてサッカーボールを買い与えたのである。彼はおじさんの期待によく応え、歩くとまもなくサッカーボールを蹴り始め、僅か半年でそのボールを蹴り破ってしまった。幼稚園児時代もひたすらボールを蹴り続け、小学校時代に出会ったのが、この日も左ウィングで先発したMHである。

 

中学校年代ではチームにKK太という天才が入ってきて、全国フットボール大会で優勝。なんと、タツの子どもたちのチームと2大会連続で、わしらの県のチームが中学校年代の日本を制した。

 

高校に入ると、KK太は名古屋グランパスへ。MHとわしの親戚の子は仲良くドカベンの後輩になったのである。

 

そして、昨年は国体県代表として、長崎国定に出場。このメンバーは実は、中3のときから活動を始めていて、例のフットサル大会優勝メンバーを(その後のドカベン高校2年生)を中心にしていた。そして県勢としては初のベスト4を達成した。

 

というわけで、わしにとっては、タツの子どものいるチーム対親戚の子がいるチームの決勝戦となったわけである。

 

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実はわしはその1週間前、わしはわしの親戚の家に泊まりに行っていて、寝ずにいろんな話をしたのである。

 

親戚のよれば。ドカベン高校は「フィジカル中心で、個々の選手のドリブル突破、スピードを中心にしたチーム」、タツノコチームは「フットサルの技術を活かしたような、ワンタッチプレーの多いパスワークのチーム」という評価であった。

 

「こんなに印象に違うチームの対戦は楽しみ」と語っていた。

 

その子どもは、Bチームに落とされ、ふて腐れているということじゃったが、わしには挨拶をして、朝、めざしと目玉焼きを食べて、練習に出かけていった。

 

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さて、試合の方じゃが、大変面白い展開となった。

 

前半タツの子チームが先制。後半に入り、親戚の子チームが立て続けに2得点して、逆転。タツノコチームの交代選手が活躍して、同点においつく。このまま延長かと思われたロスタイムに、親戚の子チームの選手が中盤からずんずんドリブルをしかけ、どんどんどんどんドリブルしてゆき、シュートを放つと、それが見事にゴールしてしまい、決勝点になった。劇的なゴールであった。

 

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この日、マサと試合を見ていて、関心したことがあった。

 

マサが、「がんじがらめなんだなー」と言うのである。

 

そう、マサは、タツノコチームの両サイドバックがボールを持つや、トップめがけてロングボールを蹴り込んでいたのが気にくわず、自由のない選手を気の毒がっていたのである。

 

両チームとも非常にコンパクトに戦い、これでもかというプレッシングをかけあっている。こういう試合展開では、お互いの隙が生まれるとしたら両サイドのわけで、ここをえぐって深く相手陣に侵入しないと、なかなかチャンスらしいチャンスは生まれないであろうに、そのリスクを冒すと逆にそのスペースを相手に使われるという恐怖心から、タツノコチームのある指導者はサイドバックの位置からの侵入を放棄し、前線への一発放り込みを命じているようなのであった。

 

「高校でサッカーやっている子どもは、こんな風にがんじがらめなんだな」マサは繰り返した。「だから、日曜日に来る高校生たちは自由に、好き勝手やるんだな」

 

大したもんだよ、あんた。

 

もう一つ、気になったことがあった。

 

タツノコチームの同点ゴールは、交代選手による左サイドの鋭いドリブル突破が演出したものであった。後半リードしていながら、徐々に相手におされ、2得点を奪われるという嫌な流れが、その交代選手によって一瞬変わったのは、だれの目にも明らかであった。その選手がさらに何か大きな仕事をするのでは、という期待もあった。だが、なんと!突然その交代選手が交代させられたのである。

 

わしとマサは呆気にとられてしまった。

 

その少し後、タツノコチームは、ロスタイムに決勝点を決められたのである。

 

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翌週、タツが日曜に来たので、以上2つの質問をタツにぶつけた。

 

どちらも、指導者の判断、采配によるものなんだという。

 

サイドバックからの放り込みは、前々監督が県予選の決勝が近づくと姿を現し、「指導」するらしい。

 

そして、交代選手の交代は、途中あったワンプレーに前監督がぶちきれ、罰とてひっこめたらしい。

 

なんだか、ライバルチームの保護者から「フットサルの技術を活かしたパスワークのチーム」と評価され、憧れの視線で見つめられていたはずなのに、せっかく作り上げてきたチームを、決勝戦という特殊な状況のなかで、手放してしまったようにわしには思えた。

 

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オシムが、かつて「リスクを冒すのがサッカー」と言っていた意味が最近ようやくわかって来た気がするのである。

 

このようなことを書くと、オヤックスのメンバーがリスクを顧みないひどい判断をますますしてしまいそうで、くらくらしてしまうのじゃが、まぁ、わしらのサッカーは遊びの中の遊びであるし、下手の中の下手であるし、高校生の気分転換相手にちょうど良いレベルであるので、とりあえずどうでもよろしい。

 

問題は、プロや、人生を賭けてサッカーに取り組んでいる育成年代である。

 

実は、今日は一日仕事をしていたのじゃが、夜明治安田杯というなんだか残念なネーミングの試合を見た。ここでも、なんともリスクを冒さないプレーの連続で、がっかりしたのである。

 

わしの見たのは後半のことで、前半を見ていた我儘の説によると、前半はG大阪が攻めに攻めていたらしい。そして1得点を挙げて、わしが見た後半に入るわけじゃ。

 

この局面で、大阪はあと1点取れば優勝、広島はあと1点失えば、負けという極限状態で、なんだか、またーりとした、平和ボケ日本の象徴のような試合展開なのである。練習試合のような緊迫感のなさなのである。

 

特に守から攻への切り替えが遅く、プレーの判断も遅いので、パスの行き所が全て予測できてしまう。見ていて驚きというものがまったくない。

 

特に追いかけている側のガンバの方は、どうやって得点を挙げるつもりなのか、狙いというものが見えてこない。

 

広島の方は広島の方で、ミキッチのドリブル頼み。いやいや、あのくらい出来る中学生は山ほどいるだろうに・・・・なんで育てられないんだろう。

 

わしは、なんだか絶望的な気分になったのである。

 

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ところで、昨夜、偶然BSの番組で、ミゲル・ロドリゴが一週間ジュニアチームを指導するという番組を見た。不思議なことに一週間で、子供たちが変わってゆくのである。

 

わしら日本人は、なんだか発想の根源から間違っているような気がしてならない。

 

 

 

 

「やれやれ終わった」

わしは寺T毬のはまなす3階会議室で、5人のインフォマントたちに礼を言い、送り出した後、円卓の上の録音機を見て絶句した。

 

一時間半にわたって5人の取材対象とわしが喋りまくった内容が、そのハードディスクレコーダに記録されているはずだったのである。

 

わしは自宅までクルマでぶっ飛ばして帰り、代表戦でも見ようかと考えていたところだったである。なんせ最近の代表戦は興味が抱けず、わしはNHKの時代劇「ぼんくら2(第4回)」を録画予約してあり、代表戦を見るには生で見るしかなかったのである。

 

それとも、もっとぶっ飛ばしてこのままプールへ行き、水泳教室の仲間たちに愛想を振りまきに行こうか?木曜日の水泳教室には最近、27歳のアイススケート美女「金ちゃん」が入ってきて、一気に盛り上がっているのである。「金ちゃん」は、御山に住み、近眼で、金魚のような目をしているが、大学時代まで氷上でくるくる回ったりしていただけあって、長身、長腕、長脚のスタイルの良い子なのである。

 

そしていつもわしの後を泳いで来て、水を飲んだりすると、「ペンタさんのせいです」とか言って、甘えてくるのである。

 

そんなくわあいい金ちゃんの会いたくて、寺T毬のはまなすからぶっ飛ばしてもおかしくないというものである。

 

じゃが、録音機には、無情にも、2秒という表示が出ていた。わしは、録音スタートさせた直後、ポーズスイッチを押してしまったらしいのである。

 

一時間半の録音が、2秒しかされていなかったのじゃ!

 

しかも、司会進行に夢中になるあまり、わしはメモも一切録っていなかったのじゃ!

 

おいおい!

 

5人の人間が、わしも含めると6人の人間が、入れ代わり立ち代わり一時間半話しまくった内容が、2秒しか録音されていないとは、どういうことか!わしはそれを元に、記事をしげなくてはならぬのに、どうすりゃいいのか!

 

わしの全身から血の気が引いていった。

 

分量にして、新聞見開き2ページくらいの記事になる予定であったのである。

 

この寺T毬の取材にこぎ着けるには、いろいろ苦労することが多くて、7月から取組み、挫折やら組み立て直しをくりかえし、10月になってやっと取材相手が決まり、それからも暇を見つけては、寺T毬に通うこと、4回、今日で5回を、費やしてきた。

 

その苦労がやっと音として記録され、それを文字に起こすことで、報われる。とりあえず、録音してしまえば、文字にするのはすいすい。明日やろう。

 

そんな安心感のなか、わしは代表戦や、金ちゃんのへたくそな息継ぎのことを考えていたのである。

 

☆     ☆     ☆

 

「このまま、今出ていった5人をおいかけ、もう一度最初から座談会をやり直してくれとお願いしようか?」

 

わしは考えた。

 

「いやいや無理だ。KJ魚類の社長は、次の会があるんで、と急いでかえっていったし、金曜八時の社長もN山製菓の食事の誘いを断っていた。今更もう一遍座談会をやりなおしてくれなどと頼んで、戻ってくれるわけがない」

 

はあはあ。

 

わしは久しぶりの絶体絶命感を味わっていた。

 

「落ち着け。なんとかなるさ」

 

「いや、聖徳太子でもあるまいし、5人が一時間半話したことを思い出して、それを文字にできるもんか?」

 

「いや、おぐのO氏が3時間話したときは、録音禁止だったぞ。あれもなんとかまとめたし」

 

「あのときは、詳細にメモしただろ。そのメモに従って書いたからさ」

 

「でもさ、結構覚えているぞ。ほら、あの右側のおばはんが話したこと、6テーマくらい思い出せるぞ」

 

「でもさ、KJ魚類の社長の発言はどうだ?」

 

「う、一つしか思い出せない・・・あの人に興味が持てなかったし」

 

「そうだろ。そうだろ?どうすんだ?」

 

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思い出してみると、今週はさんざんであった。

 

月曜日にぎっくり腰になり、火曜日にパソコンのモニターが故障、水曜日に飲み屋のねーちゃんに失恋。

 

いや、それは冗談だが、わしは本業の方も忙しく、おいまくられ、追い詰められているのじゃ。とにかく、今週は何がなんだか、わからないのである。

 

そして、木曜日のこれである。

 

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「とにかく、落ち着いてクルマを運転しよう。で、まずは家まえ帰ろう」

 

わしは自分に言い聞かせた。

 

「わかった」

 

わしは答えた。

 

☆    ☆     ☆

 

と、いうことで、代表戦を見なかったペンタである。

 

それどころか、ドルトムントの新監督、トゥヘルのサッカーもチェックしていない。トゥヘルというのはグアルディオラ一族に属する監督で、ポゼッション志向の強い監督だそうだ。前監督のクロップはゲーゲンプレッシングからのショートカウンターのチームを作ったが、それを引き継ぎながら、次第にショートパスーポゼッション傾向を強めているのじゃという。そして最近では、「ロンド・ポゼッション」ともいうべきサッカーを披露していいるのじゃという。

 

な、なに!「ロンド・ポゼッション」とな!それはわしのいう、「鳥かごサッカー」のことではないか!

 

スマホで見かけた記事によると、トゥヘルのサッカーは、中盤と前線の選手によって、相手守備陣を包囲し、その包囲網でパスをつなぎ続けるというスタイルになってきているのだという。

 

まったくそれは、わしの鳥かごサッカーのことじゃ!

 

どうやら、トゥヘルはわしのブログをチェックしているようじゃ。いや、それどころか、わしがフットサル仲間とおしゃべりしているのも盗聴しているに違いない!

 

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なんてことを思う暇もなく、わしはワインをがぶ飲みして、気持ちが悪くなり、ぶっ倒れるようにして眠りについたのである。

 

今日になり、スマホの端末が音声通話機能を失う。新たらしいスマホは、まだメールも、LINEもできず、夕方ようやく通話が可能になる。

 

わしはSIMフリーの契約に乗り換えたのである。今までのソフバンはひと月8000円以上かかっていたのじゃが、それを800円のプランに乗り換えたのじゃ。

 

安倍が言ったとおり、主要3社の料金は異常に高いと思う。

 

早くいろんな機能が取り戻せると良いのじゃが・・・・

 

本当に何がなんだか、わからない一週間であった。

 

 

ラディカル・チェンジとな!?

オランダ代表がユーロ予選で敗退してしまった。

 

「オレたちほんとは攻撃的サッカーで勝ちたかったもんね」と選手が思ってしまったのが敗因であるという節がある。

 

ありそうな話である。

 

オランダ人程、サッカーの内容にうるさい国民は少ない(会ったことはないが)。

 

「試合には負けたが、美しいサッカーをしていたのは、オランダだった」というのが

口癖の国民じゃ。

 

負け惜しみとも思えるが、かのミケルスとクライフ擁するトータルフットボールを産んだ実績があるので、空威張りだけでもない。

 

そいつらが、ブラジルワールドカップでたとえ勝ったとは言えスペインに対し、

ドン引きから~のロッベン頼みサッカーをしてしまったわけである。

世にも醜いサッカーをしてしまった。

 

この屈辱に、国民も選手も深手を負った。

 

サッカー後進国に住むわしでさえ、南アフリカの岡田の試合を見て、

天下に恥をさらしてしまった、という屈辱を感じたのであるほどじゃから、

プライドの高いオランダ人なら、今度こそは攻撃的なサッカーで勝ちたい、と思ったという説も充分ありうる。

 

他方、スペインはどうやらまずまずのようである。

シャビが引退し、イニエスタが怪我をしていても、セスク、シルバ、イスコ、アルカンタラと、次世代が次々に名乗りを挙げている。

 

ゴールキーパーデ・ヘアもすげー)

 

ブラジルワールドカップでは、ひどい目に遭ったとはいうものの、

やるべきサッカーは大きくは変わらない。

 

☆     ☆      ☆

 

さて、日本代表である。

 

日本代表の監督が、就任して半年経ってから、「クロップ前監督のドルトムントみたいなゲーゲンプレッシングサッカーをやりたいもんねー」と言い出した。

 

そのアイディアを得意になって「ラディカルチェンジ」と名付けて

喜んでいるようじゃが、まったくそれで良いのだろうか?

 

半年経った今になって?

今更守備の方針が出るのか?

それじゃ、今までは何だったのか?

 

守備の約束事っていうのは、最初に取り組むべきことじゃないのか?

その監督の哲学が反映されたものなのじゃないのか?

これはチームのベースであって、これを変更するなら、監督が代わった方が早い。

 

迷走もほどほどにしてほしいものである。

 

☆     ☆      ☆

 

さて、話は攻撃的と、守備的というところに一度戻す。

 

この世には、攻撃のために考えられたシステムと、守備のために考えられたシステムというものがある。

 

ほんとは、そんなに簡単な経緯ではないのじゃが、ここではそういうことにしておこう。

 

中盤フラットの4-4-2。

 

これは、このような形で選手を配置すると、ピッチの中をスペースを埋めることができる、という発想で現在用いられている。

 

つまり守備時において、一度リトリートし素早くディフェンスの4、中盤の4の2ラインを敷くことによって、左サイド、中央、右サイドのいずれにも隙がないように備えるというシステムである。だから、このシステムを敷くチームは、たいてい守備的であるし、この4-4-2の形は守備のときにこそ現れるのである。

 

さて、他方で、バルセロナが世界的に流行らせた4-3-3。あるいはオランダ人が考案したという噂の3-4-3は、攻撃のためのシステムなのである。特に3-4-3は、この形に選手を並べたときに、最も三角形が多く描けるということからという発想で用いられている。三角形というのは、パスコースを常に複数にしておくことを保障するためのもので、つまり攻撃を意図している。

 

極端な例であるが、好調時のバルセロナは守備時においては、システムがない。相手ボールになった瞬間、暴力的なまでに前へプレッシングをかけ奪いきろうとうするため、そんなものには構っていられないのである。あるのは、プレスをかける者と、カバーをする者という役割分担。相手を囲いこみ、局地的に多-少をつくり、奪いきってしまうこと。そして、その囲いが突破されたときの、カバーだけである。

(実はこれは相当に難しい守備だと思うのじゃが)

 

ということで、この世には、システムがいろいろあるのじゃが、実はそのシステムを発送した「理由」というものが背景にはある。

 

さて、ここから更に書くべきことは多い。

 

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岡田が、南アフリカで採用した4-1-4-1は、4-4-2を更に守備的にしたもので、守備、中盤の2ラインの間に、FWの一人をさげてフォアリベロのように置くのであるから、まーどんだけ守るのかよ?という布陣である。攻撃は、運に任せ、人間はとにかく守備のことを考えよう、そのくらい守備的である。

 

だから攻撃しようと思っても、できない訳である。

 

あの大会、日本のパス成功率は参加国中最下位であった。なら、すごいドリブラーがいたかといえば、そんなこともないわけで、ま、攻撃して勝てるチームではなかった。守りまくったら、相手が勝手にこけたり、本田、遠藤のフリーキックが入っちゃったりして、勝っちゃっただけなのである。

 

さて、ザックのシステムについては以前も書いたとおり、3-4-3でも守備的なシステムである。中盤の4の両サイドに、長友、内田を置いたわけで、どれだけデイフェンダーを並べれば気がすむのか?という布陣であった。

 

もう、攻撃となれば、両ワイドから縦に突破しか考えないような戦術で、トップにデカい選手のいない日本はそれで得点が取れたのだろうか?まぁ、その前に選手がなじめず、結局本格的な採用には至らなかったのであるが・・・

 

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などと、つらつら思い付くままに書いていたら、何を書きたかったのか、忘れてしまったのじゃ。

 

じゃが、ここまで書けば気づく人は気づくに違いない。

 

採用するシステムと、戦術というものは切っても切れない関係にあるということじゃ。そして、その戦術にはまる選手というものもいる。

 

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たとえば、最近書いたビエルサ一族のサッカーには、特にFWに献身的なハードワークを厭わない選手が必須である。必須アミノ酸である。必須アミノ酸と書きたかっただけなのじゃ。

 

サッカーの一流国でない自覚のあるチリが成功したのも、「うちら一流じゃないから、懸命にやるもんね」という必死な選手がそろっていたからじゃと思う。

 

他方で、日本代表で何が起こっているかというと、なんだか香川、清武、南野という似たような選手ばかり選んでいるような気がしてならない。彼らは献身的なタイプではなく、うまい系じゃとわしは思う。ここに本田という王様も加われば、守備に仕えない人間ばかりになる(ま、原口はちょっと変わったという気もする)。

 

これからの代表に必要なのは、うまくしかもハードに守備できるやつである。ま、岡崎ね。

 

で、アホハリは、ハイプレス、ラディカルチェンジ(なんのことはない攻守の切り替えの早さであるが)と言いながら、ハードワークが得意でない選手を起用したり、選出しているわけで、頭がないのか、嘘つきなのか・・・・しかも、選手たちはそんなサッカーをやる気配もなく、たぶん現場は相当に混乱しているのじゃろうな!

 

などと推理しながら見るのも楽しいが、はて、ラグビー代表は果たしてどうして勝てたのじゃろう・・・

 

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今夜はこの辺で!

 

 

 

 

 

 

 

 

混乱しててもフツー

ラグビー代表はあっという間に世界を驚かせましたな!

 

ペンタです。

 

もちろん、日本における(世界でも)競技人口やプロ組織化は、

サッカーとラグビーでは相当差がついておるので、

いきなりラグビー人気がサッカーを上回るということはないのじゃろうが、

日本テレビのスポンサーはそんなものは全然興味がない。

 

視聴率がすべてなのである。

 

金銭的にも、サッカーが持っていた数字を今後しばらくすると、

ラグビーがかっさらってゆく

ということは充分にありうる、とわしは思う。

 

サッカー協会はちゃんと心配したほうがいい。

 

未来が示されるなら、ファンは納得するのである。

 

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日本代表のシリア戦、イラク戦を見た。

 

可能性は見えて来たであろうか?

 

うーん。

 

それどころではない。

 

どうも選手と監督の意図がちぐはぐなのが気になる。

あるいは、監督は自らの意図するサッカーに適応できる選手を選んでいるのじゃろうか?

 

選手たちは、攻撃時のお互いの距離感が近い方がよく、

ショートパスとドリブルを織り交ぜて、崩す形を好んでいる。

というか、現在の常連代表は、それしかできないメンバーがそろっている。

 

特にスピードのない本田をサイドの位置で起用するなら、必ずそうなる。

(彼は、確かに悪くない選手で、メンタル、フィジカルの強さ、いざというときのプレーの正確性など、素晴らしい部分をたくさん持っているが、あまりも鈍足なため、

現代サッカーの最前線に置くにはかなり使い勝手の悪い置物となる)

 

他方で、監督は、攻撃に幅を作りたいと考えており、

両サイド、日本代表でいえば、本田と原口(もしくは宇佐美)は、両翼に高く、

ラインぎりぎりに開いてほしいと考えている。

 

バルセロナの監督時代のクライフは、この位置の選手について

タッチラインを踏んでプレーしろ」とか、「開いていれば、案山子でもいい」

という名言を残している。

現代では、さすがにウィングが案山子のような鈍足の選手では通用しないが、

いずれの言葉も、いかに攻撃に幅が必要かを説明したものである。

 

監督が、本田は案山子でいい、とにかく開いて待てと腹をくくっているのか?

それならそれで、やり方もあると思う。

 

たとえば、先日の女子W杯でのみやまが左サイドかなり開いて位置で

プレーしていた。

俊輔も、セルティック時代、右サイドのFWの位置でプレーをしていた。

 

だが、本田に明確な指示を出していないらしく、シリア戦、イラク戦と連続で、

中央に入ってのプレーが続いている。

 

それで結果が出ているような、出ていないような、

そういう状況であると、わしは感じている。

 

少なくとも、数年後世界を驚かせてくれるようなチームに育ちつつあるか?

と言われれば、なんだか代わり映えしない、と答える他ない。

 

☆     ☆     ☆

 

それにしても、この日の両サイドバックは眼を覆うような出来栄えじゃった。

 

守備が不安定で、攻撃も心もとない。

 

現代のサッカーは、サイドの攻防が中心になるので、

ここに力のない選手が座ると、俄然雲行きが怪しくなるのである。

 

それにしても、こんなに人材がいないのか?

 

☆     ☆     ☆

 

そうそう。久しぶりの柏木。

この選手はランニングフォームの汚い選手で、

もう二度と代表には呼ばれないだろうと思っていたが、

後半、プレスのなくなった状態で、という条件付きではあるが

なかなか素晴らしいパスを出していた。

 

パスというのは、「パスコース」などというが、実は5次元のものである。

 

コースと言うと、2次元であるが、当然高さもあり、3次元。

さらにスピードやタイミングもあるので、4次元である。

残りはボールの回転である。

これで受け手側のコントロールの難易度が変化する。

 

つまり5次元の適格さというものが必要であり、

名手はこれを操る。

 

良いパスが通ると、それだけで、うっとりするものじゃ。

 

代表でパスがうまいと言えば、遠藤や中村ケンゴであったが、

彼らが呼ばれなくなって、ほんとにまともなパサーが代表にはいなかったわけである。

 

この日の柏木は、普段の代表がいかに「パサー不在」であるか、

を思わせた。

それだけのプレーはしていた、立派だったと言いたいところだが、

それだけ、代表のレベルが落ちているということかもしれない。

 

☆     ☆     ☆

 

ということで、スピードのある右ウィング、サイドバック、パサーと、

「足りないもの」ばかりが目立ったシリア、イラン戦であった。

 

ラグビーでは、「ジャパン・ウェイ」というものが示されたらしいが、

サッカーの「ジャパン・ウェイ」が見られるようになるのは、何時の事なのじゃろう

 

まぁ、監督はクビになるまで、思う存分、自分の意図するものを発信してほしいものである。

 

ちょっと起用する選手が、代わり映えしなさすぎなのではないだろうか?

 

イラン戦は、本田、香川なしでトライしてみてほしかったというのが

正直な感想である。

 

今夜はこの辺で!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビエルサ一族見参!

ビエルサの名前をはじめて聞いたのはいつの事だろう。

 

2002年韓日w杯のときに、3-3-3-1(もしくは3-3-1-3)というシステムで臨んだという記憶はあるので、たぶんそのとき初めて知ったのだろう。予選で非常に強かったアルゼンチンは、しかし期待倒れに終わり、w杯では予選トーナメントで姿を消した。

 

当時、アイマールの全盛期で、しかも魔法使いベロンがいて、FWにはクレスポもいたし、もちろんシメオネもいたのある。このワールドカップのアルゼンチン対スウェーデン戦をわしは仙台で見たんじゃが、面白くもなんともない試合をしていた。それでも未練たらしく翌朝暗いうちに福島のJビレッジに駆けつけたが、アルゼンチン代表はすでに立ち去った後じゃった。わしはゲームにがっかりし、出待ちに失敗してがっかりし、気持ちの吐き出し先を見つけられず、売店が開くと飛び込んで、アルゼンチンのユニフォームを買ってしまったのである。

 

ペンタである。

 

☆ミ     ☆ミ     ☆ミ

 

さて、わしの印象の悪いビエルサであるが、その後チリ代表、リーガのビルバオの監督を務め、最近ではマルセイユの監督もやっていた。多くの人は彼を変人と言うが、次第にその評価は高まっているようだ。

 

しかも、先日テレビの解説で都並が言っておったのじゃが、ビエルサの教え子にあたる監督たちが次第に結果を残していて、先日のコパアメリカで優勝したサンパオリは、ビエルサを引き継ぎ、ほぼ同じ路線で強化した監督である。

 

また、先日のリーガで第5節で、バルセロナを4-1で破ったセルティックの監督、ベリッソもビエルサ一族であるそうじゃ。

 

これがまったく素晴らしかった。

 

☆ミ     ☆ミ     ☆ミ

 

その闘い方とはこうじゃ。

 

まず全員がハードワークする。前線からハイプレッシャーをかけるのじゃが、中盤より後ろはマンツーマンなのである。

 

そして、ボールを奪うとまずは縦に早く、1対1でドリブルを仕掛ける。ドリブルの仕掛けで成功すると、後方からぐんぐん追い越してくる選手たちがいて、彼らにつないでフィニッシュに持ってゆく。

 

縦への攻撃がうまくいかないとなると、今度はゆっくりとボールを回し始める。

 

わしは気づいたのじゃ。

 

「なんだ!これはオヤックスっぽいでははいか!」

 

☆ミ     ☆ミ     ☆ミ

 

説明しよう。

 

オヤックスは昨年の冬にわしが10年ぶりにフットサル大会に復帰したとき、前線からのプレッシャーをかけるのに失敗。10年間まともな大会に出てこなかったとはいえ、「プレッシャーくらいかけられるだろう」と、タカをくくっていたわしは大いにショックを受け、自分の体力の限界を改めて痛感しただけにとどまらず、オヤックスの戦術に変更を加えようとした。で新年あけて「一度リトリートしてゾーンディフェンス。そしてKMまっしぐらに走ってもらってカウンター」という闘い方を試みた。当初うまくいくかに思えたこの戦術。じゃが、春の大会で、この戦術が裏と出て、ズタボロにやられたのである。

 

オヤックスの守備は、前線からのプレッシャー頼みで、自陣深くなればなるほどなぜかマークもチェックも緩いという致命的な欠陥も明らかになった(特に誰がとは言わんない)。

 

しかも加齢なる筋力の衰え、止むことを知らない暴飲暴食の挙句の脂肪増量、相次ぐ怪我などを原因として、皆、運動能力が徐々に低下してきているのである。かろうじて保っているのは、見かけとは裏腹に実はⅯではないかという噂のタツ、目まいがするまで走りまくらないと気がすまないKMまっしぐらの2人で、他のメンバーはわしを筆頭に、身体が思うように動かなくなっているのであった、のじゃった。

 

☆ミ     ☆ミ     ☆ミ

 

じゃが、ここでわしは、思ったのである。

 

オヤックスは身体以上に、頭の老化が激しい!急激な戦術変更は無理なのである。

 

身体に染みついたことを続けて、これを洗練してゆくしかないのではないか!?

 

☆ミ     ☆ミ     ☆ミ

 

そう考えていた矢先の、セルタのベリッソのサッカーである。

 

☆ミ     ☆ミ     ☆ミ

 

前からプレシャーをかける。どのくらい前からかけるかは、その時の気分しだい。誰かが、行こう!というスイッチを入れる。

フィールドの自陣1/4の相手に対しては、できるだけマンツーマンディフェンスし、ゴール近くでは特に間合いを詰めておく。

奪ったら、縦に早くカウンター。

ダメなら回す(鳥かごサッカー)。

攻めて攻めて攻めまくる。

疲れてカウンターでやられたら、悲しむ(大抵決めきれず、これでやられる)。

 

これがわしらオヤックスのフットサルではないじゃろうか!?

 

この辺で!

おっとっと

随分久しぶりになってしまった!

 

今夜は書きまくるぞ!ペンタです。

 

☆     ☆     ☆

 

さて、あれは震災の翌年のことじゃった。

たぶん、わしの膝の前十字靭帯はもう切れていて、

サッカーやフットサルを楽しめていない日々を送っていた頃のことである。

 

わしには以前から仲良くしていた女性がいた。

 

1998年頃から、毎日のようにメールをやりとりしていた。

その女性とは、職場が同じような、少なくとも近くにあったのであるが、

ある日彼女の上司にどういうわけか「Ⅿの悩みを聞いてやってくれ」と言われ、

アドレスを交換したのある。

 

彼女は21歳くらい、わしは38歳くらいじゃったのではないだろうか?

 

わしも現在まで随分ブログを書いてきたりしていて、

その中には傑作も駄作も、酔いすぎていて何がなんだかわからない内容のものもあるが、実は一番の力作は彼女とのメールであったと思う。

 

わしの中年期の黄金時代は、彼女とのメールにあったのである。

 

☆     ☆     ☆

 

彼女には、高校時代に知り合い、好きになった男がいて、

その彼氏には、同じ同級生の別の彼女がいた。

 

彼氏と別の彼女は、学生時代からつきあい、

社会人になってからも続いていた。

 

じゃが、Ⅿはどうしても、彼氏のことを諦められなかったのじゃ。

 

☆     ☆     ☆

 

わしとⅯは、ほぼ毎日メールをやりとりしていた。

朝起きてⅯにメールを書き、夜寝る前にまたメールを書く。

 

家にいて、パソコンに向かうときのかなりの時間を割いていたような気がする。

 

わしは何を書いていたのか今となってはまるで思い出せないが、

間違いなく毎日の一番の楽しみじゃったと思う。

 

たぶん、その日その日考えたこと、感じたこと、

そして、自分の思いを真剣に、そしてここが大切なところだが、

相手に決して真意が伝わらぬよう、意味不明に書き綴った。

 

彼女が何を毎日書いてくれたのか、も、

ほとんど思いだせない。

 

じゃが、筆まめ大王のようなこのわしに

本当によく付き合ってくれて、職場のことや、趣味のこと、

彼氏のことを書いてくれたのじゃと思う。

 

二人は本当に気が合ったのじゃろう。

 

Ⅿの兄は、そんな二人を見て、お前らは恋人同士ような仲だな、と言ったという。

 

しばしば二人はドライブに出かけた。

 

海岸沿いを走って、ある浜辺にたどり着き駐車場にクルマを停ると、

前の嫁(離婚して5年くらい経っていた)から携帯に電話がかかってきた。

 

「ごめん、今話せない」とわしは告げ、すぐに切った。

 

わしとⅯはしばらく秋の浜辺を歩いた。

 

小さな川と流木のあるところまで歩くと、

彼女は流木に腰かけて裸足になり、ほら、と言って、最近つけ始めたというペディキュアを見せた。

 

二人はそれ以上話さず、

しばらくしてクルマに戻り、

わしはその頃お気に入りだった、

カーペンターズの「青春の輝き」をCDで聴いた。

「秋の淋しさが身に染みて切なくなりますね」と彼女は言った。

 

☆     ☆      ☆

 

わしは41歳のときに当時の職場を退職した。

 

その後もⅯとのメールは続く。

 

しばらくして、彼女の恋が実るときが来る。

 

彼女は28歳になっていたと思う。

 

彼氏が高校時代の彼女と別れると、意を決して、しかもかなり慎重に、

彼氏に自分の思いを告白して行った。

 

次第に彼女のメールに希望が射してくる。

 

そして二人は付き合い始めた。それが震災の前年。

彼女はとうとう12年間の思いを実現した。

 

だが、わしとⅯとのメールはまだ止まない。

 

震災。

Ⅿの彼氏の職場が被災。連絡が途切れる。

 

わしも靭帯を断裂。

 

☆     ☆     ☆

 

夏。

 

二人はかなり打ちひしがれていた。

 

休日の朝、待ち合わせて、ドライブを始める。

 

昼。一緒に食事。

 

さらにドライブ。

 

夜。一緒に食事。

 

さらにドライブ。

 

彼女は帰ろうとしない。

 

行く当てもなくなり、そのまま今はない宮内ツタヤの裏の駐車場で深夜になった。

 

彼女は今考えると絶望していて、

ついに泣き出した。

 

わしはもう一度クルマを走らせる。

 

どういうわけか、悠久山の方へまわり、

栖吉の山の中へ。

 

そこはわしの家のそばなのじゃが、そのあたりはあまり走ったことがない。

 

真っ暗な山の中でわしは道に迷い、急に道は細くなる。

 

わしはクルマを停めた。

 

☆     ☆     ☆

 

「Ⅿ」とわしは彼女の名前を呼んだ。「お前のお母さんに怒られるから、帰ろう」

 

時刻は1時を過ぎている。

 

彼女は黙っている。

 

「Ⅿ」もう一度わしは彼女の名前を呼んだ。「この辺、道を知らないし」

 

「この道を戻って脇へ行くと職場の人の家があるんで何度か来たことがあります。わたしは知ってます」

 

☆     ☆      ☆

 

さて、その冬のことじゃ。

 

わしの記憶が確かならば12月の初旬のこと。

 

わしとⅯはまた待ち合わせて、60キロほど北にある都市に

食事をしに出かけた。

 

会う前に携帯にメールが入った。

 

「ものすごい二日酔いなんですが、それでもいいですか?」

「大丈夫なら」

「大丈夫じゃないんですけど」

「じゃ、やめておく?」

「クルマの中で戻すかもしれません」

「停めるから、降りて戻せ」

「わかりました。イキマス」

 

☆     ☆     ☆

 

わしのクルマに乗ると、彼女は少しして

「眠ってもいいですか?」と言い、すぐに寝息をたてはじめた。

 

しばらくして、目を覚ました。

「ゆうべ友達と飲んでいたんです。10時くらい彼氏から一年ぶりにメールが届いて」

と、飲みすぎた言い訳をした。

「うまくいきそう?」

「はい。なんだか」

 

彼女はまた眠った。

 

予約したレストランでわしは一人で昼食を食べた。

彼女はわしのクルマの中で更に眠り続けた。

 

☆      ☆     ☆

 

さて、わしが中学生のときに世界地理を習ったころ、

まだスペインは独裁政権下にあった。

 

有名なフランコ政権である。

 

独裁政権下のバルセロを中心とする抵抗軍との闘いも有名で、

ピカソヘミングウェイ、そして

わしがこの世で最も敬愛するジョージ・オーウェルも当時の様子を描いている。

 

イギリス人のジョージ・オーウェル

アメリカ人のヘミングウェイも、抵抗軍側として参戦しているのじゃが、

二人の小説家のすごいところは、抵抗軍側が行う非人道的な闘いも

ちゃんと記録を残していることじゃ。

 

特にジョージ・オーウェルの見た闇は深い。

 

当時の知識人と言えば、たいてい共産主義者かそのシンパであるのじゃが、

参戦してきたロシア軍が何をなしたか、

人間の絶望が何に由来するのか、ジョージ・オーウェルの視線の行き届いた深さは

現在も驚嘆に値する。

 

平等!というスローガンの恐ろしさ。

資本!という神に反する駆動力(実はキリスト教イスラム教も長く金利を禁じていた)のすさまじさ!

 

さて、スペインは、その後わしが高校生の頃、民主化を果たす。

 

ただ、時代は流れてゆく。

 

今また、バルセロナを中心としたカタルーニャは独立を主張している。

 

時代は移ろってゆく。

 

☆     ☆      ☆

 

さて、わしは数年ぶりにⅯに偶然会った。

 

彼女も現在は二児の母親である。

 

☆     ☆      ☆

 

わしとⅯの間に、あの日栖吉の山の中で何があったのかは、

わしのブログの読者ならだいたい予想が出来と思うからにして、

詳しくは書かない。

 

今夜はこの辺で。