蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

その後…

その後、わしはインターネット断絶の深い闇の中に沈んでいるのであった。かれこれ、ひと月になるじゃろうか。長い長い闇である。

 

地球泊の座談会にについては、実は血のにじむような努力の末、記事を作成した。詳細は省く。

 

じゃが、14日の夜には仕上げた。

 

15日は高校サッカー県予選の決勝があった。殿下大白鳥スタジアムに、わしはオヤックスのマサと出かけた。

 

当日は生憎の小雨交じりの天候で、わしらがスタジアムのに到着したころには入場がかなり進んでいて、ちょうど屋根のある部分の座席はほぼ埋まり、空席の座席には雨だれが落ちてくるという頃合いになっていたのじゃが、幸い女子高生の横に二つ空席があるのをみつけ、わしらおっさん2人は具合よく腰かけたのであった。

 

それにしても、雨具とペットボトルを用意していたマサに比べ、財布と携帯以外は何も持って行かなかったわしは相変わらずである。しかし、マサももう慣れっこであるので、それをからかったり、面倒見たりもしないのである。

 

試合には、わしらのおっさんのよく知っている子どもが一人(タツの子)と、少し知っている子どもが一人、それから、相手チームにも中学生の頃からわしが応援している選手が一人先発出場していた。そう相手は、かつて、あの、ドカベンが在籍した高校である。

 

この高校の2年生には、わしの親戚の子どももいて、わしは彼が誕生したときから、サッカー選手として応援しているのである。そう、ブラジル人の子どものように生まれたときのプレゼントとしてサッカーボールを買い与えたのである。彼はおじさんの期待によく応え、歩くとまもなくサッカーボールを蹴り始め、僅か半年でそのボールを蹴り破ってしまった。幼稚園児時代もひたすらボールを蹴り続け、小学校時代に出会ったのが、この日も左ウィングで先発したMHである。

 

中学校年代ではチームにKK太という天才が入ってきて、全国フットボール大会で優勝。なんと、タツの子どもたちのチームと2大会連続で、わしらの県のチームが中学校年代の日本を制した。

 

高校に入ると、KK太は名古屋グランパスへ。MHとわしの親戚の子は仲良くドカベンの後輩になったのである。

 

そして、昨年は国体県代表として、長崎国定に出場。このメンバーは実は、中3のときから活動を始めていて、例のフットサル大会優勝メンバーを(その後のドカベン高校2年生)を中心にしていた。そして県勢としては初のベスト4を達成した。

 

というわけで、わしにとっては、タツの子どものいるチーム対親戚の子がいるチームの決勝戦となったわけである。

 

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実はわしはその1週間前、わしはわしの親戚の家に泊まりに行っていて、寝ずにいろんな話をしたのである。

 

親戚のよれば。ドカベン高校は「フィジカル中心で、個々の選手のドリブル突破、スピードを中心にしたチーム」、タツノコチームは「フットサルの技術を活かしたような、ワンタッチプレーの多いパスワークのチーム」という評価であった。

 

「こんなに印象に違うチームの対戦は楽しみ」と語っていた。

 

その子どもは、Bチームに落とされ、ふて腐れているということじゃったが、わしには挨拶をして、朝、めざしと目玉焼きを食べて、練習に出かけていった。

 

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さて、試合の方じゃが、大変面白い展開となった。

 

前半タツの子チームが先制。後半に入り、親戚の子チームが立て続けに2得点して、逆転。タツノコチームの交代選手が活躍して、同点においつく。このまま延長かと思われたロスタイムに、親戚の子チームの選手が中盤からずんずんドリブルをしかけ、どんどんどんどんドリブルしてゆき、シュートを放つと、それが見事にゴールしてしまい、決勝点になった。劇的なゴールであった。

 

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この日、マサと試合を見ていて、関心したことがあった。

 

マサが、「がんじがらめなんだなー」と言うのである。

 

そう、マサは、タツノコチームの両サイドバックがボールを持つや、トップめがけてロングボールを蹴り込んでいたのが気にくわず、自由のない選手を気の毒がっていたのである。

 

両チームとも非常にコンパクトに戦い、これでもかというプレッシングをかけあっている。こういう試合展開では、お互いの隙が生まれるとしたら両サイドのわけで、ここをえぐって深く相手陣に侵入しないと、なかなかチャンスらしいチャンスは生まれないであろうに、そのリスクを冒すと逆にそのスペースを相手に使われるという恐怖心から、タツノコチームのある指導者はサイドバックの位置からの侵入を放棄し、前線への一発放り込みを命じているようなのであった。

 

「高校でサッカーやっている子どもは、こんな風にがんじがらめなんだな」マサは繰り返した。「だから、日曜日に来る高校生たちは自由に、好き勝手やるんだな」

 

大したもんだよ、あんた。

 

もう一つ、気になったことがあった。

 

タツノコチームの同点ゴールは、交代選手による左サイドの鋭いドリブル突破が演出したものであった。後半リードしていながら、徐々に相手におされ、2得点を奪われるという嫌な流れが、その交代選手によって一瞬変わったのは、だれの目にも明らかであった。その選手がさらに何か大きな仕事をするのでは、という期待もあった。だが、なんと!突然その交代選手が交代させられたのである。

 

わしとマサは呆気にとられてしまった。

 

その少し後、タツノコチームは、ロスタイムに決勝点を決められたのである。

 

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翌週、タツが日曜に来たので、以上2つの質問をタツにぶつけた。

 

どちらも、指導者の判断、采配によるものなんだという。

 

サイドバックからの放り込みは、前々監督が県予選の決勝が近づくと姿を現し、「指導」するらしい。

 

そして、交代選手の交代は、途中あったワンプレーに前監督がぶちきれ、罰とてひっこめたらしい。

 

なんだか、ライバルチームの保護者から「フットサルの技術を活かしたパスワークのチーム」と評価され、憧れの視線で見つめられていたはずなのに、せっかく作り上げてきたチームを、決勝戦という特殊な状況のなかで、手放してしまったようにわしには思えた。

 

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オシムが、かつて「リスクを冒すのがサッカー」と言っていた意味が最近ようやくわかって来た気がするのである。

 

このようなことを書くと、オヤックスのメンバーがリスクを顧みないひどい判断をますますしてしまいそうで、くらくらしてしまうのじゃが、まぁ、わしらのサッカーは遊びの中の遊びであるし、下手の中の下手であるし、高校生の気分転換相手にちょうど良いレベルであるので、とりあえずどうでもよろしい。

 

問題は、プロや、人生を賭けてサッカーに取り組んでいる育成年代である。

 

実は、今日は一日仕事をしていたのじゃが、夜明治安田杯というなんだか残念なネーミングの試合を見た。ここでも、なんともリスクを冒さないプレーの連続で、がっかりしたのである。

 

わしの見たのは後半のことで、前半を見ていた我儘の説によると、前半はG大阪が攻めに攻めていたらしい。そして1得点を挙げて、わしが見た後半に入るわけじゃ。

 

この局面で、大阪はあと1点取れば優勝、広島はあと1点失えば、負けという極限状態で、なんだか、またーりとした、平和ボケ日本の象徴のような試合展開なのである。練習試合のような緊迫感のなさなのである。

 

特に守から攻への切り替えが遅く、プレーの判断も遅いので、パスの行き所が全て予測できてしまう。見ていて驚きというものがまったくない。

 

特に追いかけている側のガンバの方は、どうやって得点を挙げるつもりなのか、狙いというものが見えてこない。

 

広島の方は広島の方で、ミキッチのドリブル頼み。いやいや、あのくらい出来る中学生は山ほどいるだろうに・・・・なんで育てられないんだろう。

 

わしは、なんだか絶望的な気分になったのである。

 

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ところで、昨夜、偶然BSの番組で、ミゲル・ロドリゴが一週間ジュニアチームを指導するという番組を見た。不思議なことに一週間で、子供たちが変わってゆくのである。

 

わしら日本人は、なんだか発想の根源から間違っているような気がしてならない。