蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

長身フォワード

今回のユーロを見ていて、一つ気がついたことが、ある(ぽあーん・・・NHKプロフェッショナル風の効果音)。

 

長身フォワードを置いているチームが多いではないか!

 

今頃になって、堀北真希の結婚が悔しいペンタである。

 

☆     ☆     ☆

 

さて、堀北真希の結婚はともかく、ユーロにチームには確かに長身フォワードをワントップ気味に置くチームが多かった。

 

このブログで既に登場しているイタリアのペッレ、スペインのモラタ(もしくはアドゥリス)、フランスのジルー、その他にポーランドのレヴェンドフスキ、ウェールズのロブソン=カヌ、ドイツのマリオ・ゴメスといったところが印象に残っている(悪い意味も含めて)。

 

優勝したポルトガルのように、クリロナとナニというスピード系を2人揃えたというチームは珍しい部類だろう。

 

10年ほど前ローマのトッティに始まった0トップが、やがてバルセロナにおけるメッシによって一気に世界的な注目を浴び、たとえばスペイン代表ではセスクがその役割をこなしていたことがあるように、ずんずんと世界的な潮流となると思いきや、そうはならなかった。

 

この中央にいるはずのFWの選手が、左右両ウィングよりも低いポジションからスタートするという方法論は、あっと驚くためごろ―的な、手品のような奇抜さを持っていたが、他方で論理的に考え抜かれた有効性もあったはずだ。

 

それについてここで書くと長ーくなるし、きっと以前にこのブログでも書いたことがあるような気もするので省略することにするが、それにしても中央のデンと大きい選手が構えてターゲットになるというのは、ちょっと懐かしいような気がするし、よい長身フォワードがいない日本人にとってはちょっとうすら寒いような流行である。

 

しかも彼らは結構うまい。

 

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しかし、考えてみれば、中央高い位置に味方の大きな選手がいて、ボールを一度預かってくれるというのは、それだけで後ろの選手は楽になれるし、面倒なパスワークが不要になる。しかも、そこからやっとやっとこ展開して、クロスを放り込むとその身長の高い選手の頭がゴール前にあるというのは、またこれほど有り難いものはないような気もする。

 

ゴールというものは、以前ここでも書いたように、ゴール前でフリーになった味方にいかにシュートを打たせるか、したがっていかに相手ディフェンスのずれを産み出すか、ということにつきる、とわしは思うのじゃが、実は身長の高い選手は、高さという点でもともとフリーである(マークしづらい)ので、なんだかなぁ、楽だよなぁ…てなものである。あまり工夫がなくとも、フリーなのである。マークがずれているのである。

 

だから、この方法はもう、サッカーの古典中の古典、基本中の基本のような方法で、ここのポジションに良い選手がいればチームの骨格は簡単に決まるし、スーパーな選手がいればチームは勝ち進むことになる。

 

日本代表にもかつて、西沢、久保、槙といったちょっと雰囲気のある選手はいたのはずじゃが、矢野を最後にすっかり伝統が途切れてしまった気がする。

 

また、もし攻撃する側にスペースがあるのなら、スピードのある選手というのも、相手とのズレを産み出しやすい。スピードのある選手を最前線に残し、攻められながらもロングパス一本で一気にカウンターというのも、サッカーにとっては基本中の基本、古典中の古典に違いない。

 

そして、以前から書いているように、このスピードタイプのFWも日本ではなかなか大成しない。

 

長身フォワードも、スピード系も存在しない日本人のチームというのは、今後いったいどうやって得点を取ってゆけばよいのだろうか?

 

得点の形をつくってゆけば良いのであろうか?

 

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と、思わせるようなユーロ2016であった。

 

つまり、わしはこう言いたいのである。サッカーの古典中の古典、基本中の基本が目立つ大会というのは、端的に言えば、「手っ取り早い」チームなのである。

 

守備は組織で守り、攻撃は数名の「身体能力の高さ」で違いを産み出して、ゴールする。これが今回のユーロ2016の流行だったと、わしはそう総括する。それは、かなり楽なチームづくりなのではないだろうか?楽ではなくても、簡単、単純、何よりも手っ取り早いではないか。

 

野球で言えば、ピッチャーは剛速球を投げ、バッターはホームランを狙う。そんなチームである。日本人のやる野球は違う。スモールベースボールという、「犠打」に象徴されるような複雑な手法によってコツコツと1点ずつ積みあげるような緻密な野球である。また、ラグビー代表も、フィジカルの弱さという点を前提として、戦略をつくりあげ、非常に緻密な戦略のもとにあの奇跡を産み出したわけである。

 

ここには「手っ取り早さ」は、ない。

 

日本人が世界で勝つには、あるいは世界と同等にやるには、「手っ取り早さ」に期待することは難しい。

 

複雑な部品をコツコツと緻密に組み立て、きわどく、しぶとく勝つ。こういう方法しかないはずだ。

 

だから、今回のユーロ2016を見て、きゃーきゃーゆーてるのは女こどもかのーたりんである。あいや、ミーハーである。

 

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あ、しかし、面白くなかったというわけではないんだよ。

 

今夜はこの辺で。