ヒゲの靴下と深海生物
29日の日曜午後1時20分頃、わしは取材先で40歳くらいのおっさんにインタビューしながら、話の内容を回覧板用バインダーに挟んだ失敗コピー用紙に書き込んでいた。
わしらのすぐ隣には、深海に潜む怪奇生物が粉々になっており、そのおっさんはまさにそいつを粉々にした張本人であった。というか、その助手であった。さらにわしらの周りには、海の生物がおそらく何千匹もおり、やはり粉々になり販売されていた。
ぴくりとそのおっさんの顔が歪んだ。おっさんはわしの手元を見ている。そう、わしがメモしている文字を見ていて、顔をひきつらせてのじゃ。実はわしは字が下手くそなのである。特に取材中は、字とも思えないものを書いており、チンパンジーの落書きのような有様なのである。
とはいえ、むかしからそうだったかというと、決してそんなことはなく、若い頃は(記憶の美化中・・・・)、勉強をしているわしのノートを見た女子がこのように言ったものである。
「まぁ!ペンタ君て字が上手なのね。まるでモーツァルトの楽譜のようだわ!」
この話がどのくらいの捏造度があるのかはさておき、35年も経つと人間字も下手になるものである。
☆ ☆ ☆
その日の夜、7時40分頃であったであろうか、わしは仲間とフットサルを楽しんでいて、休憩しようということになり、体育館の壁に寄りかかり尻餅をついて、はあはあ息を整えておった。同様に、わしらのメンバーも壁に並んで、はあはあしていた。
「今日さー、おれさー、普通の靴下履いて来てしまったんだよねー。ペンタさん病だろうか?」
隣でヒゲが言った。見ると、ヒゲは確かにシューズの下に黒っぽいソックスを履いていた。このような「普通では考えられないそそっかしいことしでかしてしまうこと」をわしらの間では「ペンたさん病」という習わしがある。
仲間は笑った。
わしは言った。
「いやいや。それはいくらなんでも、流石のわしでも未経験なことじゃ」
「でもさー、今日ずっとさー昼まっからこれを履いててさー。ついさー」
ヒゲはあれこれと言い訳を言った。
「に、してもさ。それにしても、わしのレベルを超えておるて!」
そう言ってわしは笑ったのじゃが、何かおかしい。
ヒゲの昼間から履きっぱなしの靴下を見たわけでもなかろうに、急に生臭い匂いがどこからかしてくるではないか。
わしは自分の腕をくんくんした。
「なんか自分が臭い気がする」
腕や肩は臭くないようなので、腋やら、シューズやら、サポーターやらをくんくん嗅いでみる。指も一本ずつ嗅いでみる。
「指かな?違うな。首かな?加齢臭かな?」
マサが言う。
「ペンタさん、人間年を取ると、代謝が悪くなって、加齢臭もしなくなるんだってよ。こないだ俺、娘に言われたもん」
「じゃなに?臭いのするわしは若返っているってこと?」
わしのトボけた発言はともかく、人間どうやらそういうものらしい。
- ☆ ☆
わしらは30分程フットサルをやり、また休憩しようということになり、壁際の荷物のところに尻餅をついて、またはあはあやりながら、バスタオルで顔の汗を拭いた。すると、さっきの生臭い匂いがまたしたのである。
「あ!これだ。このバスタオルが臭いんじゃ!このバスタオル、バスタオルと思って持って来たんじゃけど、これはバスタオルではなく、足拭きマットじゃないのか!」
仲間はゲラゲラ笑ったが、こういうとき冷静なのは、やはりマサである。
「いやいや、ペンタさん、それは足拭きマットじゃいよ」
「そうかなぁ・・・」
わしはバスタオルなんだけど、足拭きマット代わりに使ったタオルなんじゃないかと思い込んだ。だって、明らかにそのバスタオルが臭いのじゃ。
☆ ☆ ☆
しかしながら、家に帰り、風呂場を見ると、確かに別のマットがちゃんと敷いてあり、自分の家では、バスタオルで足を拭く習慣などないことに気がついた。
さらに布団に入り、一日を振り返ってみると、そうじゃ。わしは思い出した。昼間のあの深海に潜む巨大生物の粉々の姿が頭に浮かんできたのである。あの生物は、吊り下げられて、解体されておったのじゃが、その際、肛門のあたりを包丁でほじほじされると、小さな破裂音に続いて、どどっとピンク色の粘着質のものが、あたりに飛沫を撒き散らしながら落下してきたのじゃった。
その飛沫を浴びたのじゃ!と思ったが、よく思い出すと、そんなに浴びたわけではない。ああ、そうか。その他の何千匹もの連中の臭いじゃったのかもしれんの。
その臭いが身体に付着し、それを拭いたタオルに伝染ったのじゃろう。
わしはようやく納得した眠りについたのじゃった。