蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

運命か偶然かそれとも特殊能力か

わしが以前心配していたことに、サッカーの国代表が一部の企業に買収されていたら、どんなに残念なことじゃろうか?というものがあったが、これはすでに現実になってしまっていたのじゃ!

 

じゃが、日本代表のことではない。ブラジル代表のことある。

 

2006年以来、ブラジル代表はサウジアラビア系の投資会社「ISE」に買収されており、その契約条項のなかには代表選手の最終的な決定権はスポンサーにあることが明記されていたという。

 

と、わしの手帳にメモしてあるんじゃが、これが真実か、嘘か、現在も続いていることなのかは、皆で検索するなりして確認してほしい。

 

アルゼンチンがロシア系の石油会社によって、買収されていることはつとに有名であるから、南米の2強は両方とも巨大企業によって試合されていたのであった。

 

まぁ、わしのように「お金持ちになったらスペインリーグごと手に入れたい」などという野望を持つ大物はまだいないようだが、世のお金持ちもなかなか欲望丸出しにしてやるものである。他方、国代表なんというものは、なんとチンケなものであろうか?

 

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さて、そのチンケな国代表のしかも日本の女子代表に、澤が戻ってきてさっそく得点を決めた。

 

宮間のコーナーキックが、ゴール前の密集のなかにいた澤の前にころりと転がってきたのである。澤という選手が持っている「何か」を実感してしまう。

 

そういう運命の星のもとに生まれてきたのか?たんなる偶然の積み重ねなのか?

 

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わしはこう見えて、ウルトラ現実主義者なので、結論をいえば単なる偶然であると思う。

 

わしがどれくらいウルトラ現実主義者であるかということは、そのうちにおいおい書いてゆこう。

 

簡単に書いておくと、わしは数字というものを「ファンタジー」だと考えておる。数字は、たとえば「かぐや姫のものがたり(竹取物語でもよいのじゃが)」、月からの使者が姫を連れて帰りました、などという詩的で、象徴的な「お話」よりもずっとずっとはるかに非現実的なものじゃと確信しておる。

 

というのは数字には、「個数」「温度」「重さ」「長さ」などという性質のまったく違うものを皆同じに扱って、一律「1」「2」「3」「4」「n」という具合に表現するわけであるが、このような作用を行うのはホモサピエンスのなかの「脳」でしか起こりえない作用であり、さらに言えばこれはホモサピエンスだけが発達させた「言語」の比喩の特殊な進化様態であるから、じゃ。

 

言語のなかでも、もっとも比喩機能を特殊(ファンタジック)に発達させたもの、それが数字である。

 

わしは現在「1+1=2」という思考が人間の脳のなかに生まれてきた過程を(人類史的に)復元しようとしている。これはすべての理数系の学問のベースがどうやって成立したかの起源を捉えようという試みでもあり、いくつかの段階が想定できる・・・つまり、単位の発明の解明、左項と右項の発明の解明、一致概念の発明の解明など、である。

 

じゃが、わしもアホなので、すごーく冴えているときにしか、こういうことを考えられない。

 

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ということで、澤に戻る。

 

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わしは澤の決定力の高さは、偶然じゃと思う。正確には、宮間という特殊能力と澤という特殊能力が惹き起こす化学反応が、決定率を高めているのじゃと理解する。

 

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じゃが、当人たちは、あるいは、その道で成功した人間というのは、「運命の方」を信じているように思われる。

 

その道で成功したものたちは、多くの場合常人には信じられないような努力を積むのであろうが、その努力をなす根源には、「運命を信じている」という狂信があるように思う。

 

そういう狂った確信がない限り、人はそれほどまでに努力できないものである。

 

澤や宮間の姿からは、そういう「確信」が見てとれる。

 

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そういう確信や狂信が、幻滅したくなるような状況をすこしずつ変えゆく力を持っているのじゃろう。

 

今夜はこのへんで