蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

密集と隙間

「ペンタさん、ジャズっすか?」とよく言われる。

 

ペンタといえば、とある業界ではロックの人である。全国津々浦々に、「あのときペンタがこんな歌を歌っていた」という証言をする人がいて、こちらは初めましてと挨拶しているのに、向こうは「20年くらい前の1月2日に、ほんじこうじのスナックで、ペンタさんの女王様伝説を聴きました」とか、「吹雪の夜に外へ一緒に出ていって、一緒に移民の歌を歌ってくれました」とか、「毎朝ケットラの荷台でペンタさんの雨あがありの夜空にを聞きながら現場に向かった35年前が」とか、中にはわしがぜんぜん知らない歌を歌っていたと主張する者すらいて、既に伝説になりつつあるのである。

 

「そのペンタさんが、反逆のロックンロールを歌っていたペンタさんが、そのペンタさんが!じゃ、ジャズっすかぁぁぁー!?」

 

後輩たちは、きーきー声をあげるのである。

 

ちょっと待て。たしかに、ジャズの一部は古臭くて、じじいたちが飲み屋でくつろいでます的な?あるいはちょっと高級感のある?ちょっと分かりにくい?それでもっておれ難しい純文学、じゅんぶんがく、読んでますって風体の?さらにいえば、大人の男のおしゃれ臭を漂わせてますってな?、そういう印象を持たれてても仕方ない曲もたしかにある。あるが、そればかりじゃないのである。

 

特に1960年代後半から1970年代半ばのマイルス・デイビスはすごい。中でも1975年2月1日大阪フェスティバル・ホールで昼夜二度行われたコンサートの夜の部を収録した『パンゲア』は、〝激しさ”という意味では人類史上最強にして最恐の音楽である。

 

わしはうっかり運転中にこれを聴いてしまい、興奮のあまり何度事故りそうになったことか!これを聴いて興奮してしまう癖がついていると、一種のクスリのごとくやばい作用をひきおこすのである。

 

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そうそう。ここで強引にサッカーに話題を転じると、リヌス・ミケルスが発明し、ヨハン・クライフが体現したといわれるアヤックスの当時の練習風景などを収めたビデオを見たことがある。後に「トータルフットボール」といわれるようになった、このサッカーのイメージは、パスサッカーであったり、自在にポジションを変化させるローテーションサッカーというところであろうか?

 

どんな風に、その新しいサッカーのアイディアが形になっていったのか?誰もが気になるところで、興味津々わしも見たのじゃが、ビデオに映るクライフたちはひたすら走ってばかりいる。ランニングばかりしているのである。

 

クライフも「陸上部じゃねーんだからよぉ」と不貞腐れてインタビューに映っている。

 

そうなのである。戦術云々の前に、奴らはひたすら走っていたのである。

 

さらに、1974年のドイツで開催されたワールドカップの準決勝、オランダ対ブラジル戦のDVDを見たことがあるが、オランダはやべぇくらいに荒っぽいのである。相手の足をめがけてタックルしまくっている。

 

彼らは、決して綺麗事でサッカーをしていたわけではないのである。

 

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あれ?で、何を書くんであったか?

 

あ、そうそう。こっからは年寄りのための、身体に無理のない、頭をつかうサッカーの時間である。

 

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以前すこし書いていたように、サッカーは密集と隙間をコントロールするゲームである。

 

原則として、攻撃時はスペースがあると良く、守備時はスペースがない方がよい。しかし、クリロナやベイルでさえ、まったくひとりで得点を決めることができるわけではなく、攻撃時も味方との適切な距離感というものが必要になる。でも、その話をしはじめるとややこしくなるので、今日はやめておく。

 

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たとえば、ボールがピッチを割り、味方ゴレイロからのゴールクリアランスになったとしよう。

 

こういうプレーが一度切れたときというのは、よく隙がうまれる。キックインやゴールクリアランスの時間を休憩時間だと思っている選手がしばしばいるが、これらは一番危険なタイミングであるし、その選手のセンスが問われるシーンでもある。

 

ここでわしが考えることは、①自分の周囲にスペースがあるかどうか、②味方が相手マークから外れてフリーでいないかどうか?である。

 

①の場合は、そのスペースに走ってやればいい。

 

問題は②である。実際にマークがはずれてフリーになっている味方が、たとえば右向こうにいたとしよう。そこに相手がいないということは、ほかに固まっているということである。たとえば、左手前に相手が集まっているとする。

 

そういうとき、わしはワザとその密集に近寄ってゆきちょこまか動きだす。こんな風に動いてやって相手の意識を惹きつけ、右向こうの味方へ注意が向かうことをすこしでも遅らせようとしているわけである。

 

密集をさらに密集させることによって、隙間をさらに大きくしようとするわけである。

 

こういうのを、密集と隙間のコントロールという。

 

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もちろん、これはわしが発明したことではなく、中学校のとき先輩から教わったのである。当時のわしはスペースへ走ってボールをもらいドリブルするタイプであったので、長い間、フリーランニングで密集をつくるという思考が自分では浮かばなかった。

 

自分の身体にスピードがなくなって来て、ようやくそういうことが頭に浮かぶようになったのである。

 

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こんな風に、ピッチ上で、どこに密集が出来ていて、どこの隙間ができているかを観察していると、どういう経路でボールがつながってゆくとスムースか?ということが見えてくるようになる。

 

多くの場合、相手が手薄なところへ、手薄な方へと運ぶのが合理的じゃと思う。

 

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まぁ、いきなりそこまでは無理でも、試合中つねに首をふり、せめて①はできるようになろうではないか?そしていつか「今日はおれ、②をやりましたよ、ペンタさん!」と話しかけてもらえる日がくるのをわしは待っておるぞよ。