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蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

昨夜の続き

さ、寒いのぉ・・・・

 

昨夜はどんどんブログの入力画面が重くなり、作業に耐えられなくなったので、途中でギブアップしてしまった。失礼じゃったのだ。

 

さて、困ったことに昨夜何を書こうとしていたのか、忘れてしまった。こういうものは、その場のノリで、書きながらその場で考えて書いているので、一度勢いを失うと、もう戻ってこないのじゃ。

 

ま、サッカーと一緒じゃの。

 

  •     ☆     ☆

 

さて、それでもやってみよう。

 

2008年以降のサッカーの潮流は、世界中を魅了したものだったし、日本人にも希望を抱かせるものだった。しかし、日本がその世界標準に追いつけない間に、2014年の潮流は、今や高速ウインガーの時代となった。これは特別な才能を有するもので、日本人選手のなかにそういうタレントが簡単に現れるとは思えない。なんだが、世界標準がぐっと遠くなった気がするのじゃ。

 

だが、もともと世界標準はそんなに近いものでもなかったに違いない。

 

  •     ☆     ☆

 

先日行われたアジアカップの決勝戦を見て、驚いたことがある。オーストラリアは確かにパスサッカー志向を強め主導権を握ろうと試みていたが、そのパスワークは実に現実的なものじゃった。つまり、サイドチェンジが非常に少なかったのである。一口にサイドチェンジといっても、この横方向のパスは、一度狙われ、かっさわれるとカウンターを浴びることになる。オーストラリアは、これを避けて、同サイドから同サイドで縦へ縦へとパスをつなぎ、攻め切ってしまおうとしていた。それだけ自分たちのパスワークの稚拙さを自覚したうえでのゲーム運びをしていた。

 

相手の韓国はさらに現実的なチームで、前線から追うことをせず、自陣に引いて構え、そこからカウンターだけを狙っていた。

 

だから、オーストラリアは、本当は、ディフェンスラインで横パスをまわしても、大丈夫のはずじゃったのだ。

 

それだけ彼らは慎重に戦い、世代交代後の自分たちの現状を知ったうえで、勝負に徹していたわけで、ブラジル大会時のレギュラーを呼んでその財産を食いつぶして勝負しようとしていた日本とは、聊かアプローチが違った。

 

つまり、遠藤、香川、本田のいるチームというのは、どうしたって似たテイストになる。

 

実は、そのテイストが悪いといっているわけではないのじゃ。もし、彼らのやっているサッカーが日本人の能力に合っているサッカーであるならば、なかなか結果を出せなくても、そのスタイルを続けるべきだと思う。

 

だが、自分たちの稚拙さに無自覚で、上手いつもりになって自在にパスをまわそうというのでは、なかなか勝てない。例えば、ブラジル大会では、左サイドは対戦相手の格好の標的になっていた。露骨に左サイドでやられたケースや、右サイドの内田がしぼっても守り切れず、やられるというケースが非常に目についた。これは、要は長友が高すぎるのだが、その弱点をチームとして改善しよういう姿勢は今でも見られない。それから、引いた相手に得点があげられないという弱点も改善されていない。

 

つまり、日本代表は、自分たちの稚拙さに無自覚のまま、やりたいようにやっているように、わしには思える。

 

当初、アギーレは、アンカーに森重、インサイドハーフに細貝という非常に守備的な選手を並べたことがある。それでは、パスは回らなくなるが、バランスは取れていたし、これで速攻が決まれば、それなりにチームになっていたのではないだろうか。

 

こっちは、世代交代を視野にいれて、現実的なチームになる可能性があった。

 

  •     ☆    ☆

 

さて、わしが言いたいのは、こうじゃ。

 

日本人よ、どっちを選ぶのじゃ?と。

 

理想を目指し、流麗なパスワークから、ゴールを目指すサッカーか?

それとも、現実的な堅守速攻か?

 

そろそろ、世界の中における、自分たちのイメージを、はっきり見出すべき時が来たのじゃ。それは、サッカーファン一人ひとりに問われている問であると思う。国民の好みや、考え方がその国のサッカースタイルを決めるのだ、とわしは思うからじゃ。