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蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

おっとっと

随分久しぶりになってしまった!

 

今夜は書きまくるぞ!ペンタです。

 

☆     ☆     ☆

 

さて、あれは震災の翌年のことじゃった。

たぶん、わしの膝の前十字靭帯はもう切れていて、

サッカーやフットサルを楽しめていない日々を送っていた頃のことである。

 

わしには以前から仲良くしていた女性がいた。

 

1998年頃から、毎日のようにメールをやりとりしていた。

その女性とは、職場が同じような、少なくとも近くにあったのであるが、

ある日彼女の上司にどういうわけか「Ⅿの悩みを聞いてやってくれ」と言われ、

アドレスを交換したのある。

 

彼女は21歳くらい、わしは38歳くらいじゃったのではないだろうか?

 

わしも現在まで随分ブログを書いてきたりしていて、

その中には傑作も駄作も、酔いすぎていて何がなんだかわからない内容のものもあるが、実は一番の力作は彼女とのメールであったと思う。

 

わしの中年期の黄金時代は、彼女とのメールにあったのである。

 

☆     ☆     ☆

 

彼女には、高校時代に知り合い、好きになった男がいて、

その彼氏には、同じ同級生の別の彼女がいた。

 

彼氏と別の彼女は、学生時代からつきあい、

社会人になってからも続いていた。

 

じゃが、Ⅿはどうしても、彼氏のことを諦められなかったのじゃ。

 

☆     ☆     ☆

 

わしとⅯは、ほぼ毎日メールをやりとりしていた。

朝起きてⅯにメールを書き、夜寝る前にまたメールを書く。

 

家にいて、パソコンに向かうときのかなりの時間を割いていたような気がする。

 

わしは何を書いていたのか今となってはまるで思い出せないが、

間違いなく毎日の一番の楽しみじゃったと思う。

 

たぶん、その日その日考えたこと、感じたこと、

そして、自分の思いを真剣に、そしてここが大切なところだが、

相手に決して真意が伝わらぬよう、意味不明に書き綴った。

 

彼女が何を毎日書いてくれたのか、も、

ほとんど思いだせない。

 

じゃが、筆まめ大王のようなこのわしに

本当によく付き合ってくれて、職場のことや、趣味のこと、

彼氏のことを書いてくれたのじゃと思う。

 

二人は本当に気が合ったのじゃろう。

 

Ⅿの兄は、そんな二人を見て、お前らは恋人同士ような仲だな、と言ったという。

 

しばしば二人はドライブに出かけた。

 

海岸沿いを走って、ある浜辺にたどり着き駐車場にクルマを停ると、

前の嫁(離婚して5年くらい経っていた)から携帯に電話がかかってきた。

 

「ごめん、今話せない」とわしは告げ、すぐに切った。

 

わしとⅯはしばらく秋の浜辺を歩いた。

 

小さな川と流木のあるところまで歩くと、

彼女は流木に腰かけて裸足になり、ほら、と言って、最近つけ始めたというペディキュアを見せた。

 

二人はそれ以上話さず、

しばらくしてクルマに戻り、

わしはその頃お気に入りだった、

カーペンターズの「青春の輝き」をCDで聴いた。

「秋の淋しさが身に染みて切なくなりますね」と彼女は言った。

 

☆     ☆      ☆

 

わしは41歳のときに当時の職場を退職した。

 

その後もⅯとのメールは続く。

 

しばらくして、彼女の恋が実るときが来る。

 

彼女は28歳になっていたと思う。

 

彼氏が高校時代の彼女と別れると、意を決して、しかもかなり慎重に、

彼氏に自分の思いを告白して行った。

 

次第に彼女のメールに希望が射してくる。

 

そして二人は付き合い始めた。それが震災の前年。

彼女はとうとう12年間の思いを実現した。

 

だが、わしとⅯとのメールはまだ止まない。

 

震災。

Ⅿの彼氏の職場が被災。連絡が途切れる。

 

わしも靭帯を断裂。

 

☆     ☆     ☆

 

夏。

 

二人はかなり打ちひしがれていた。

 

休日の朝、待ち合わせて、ドライブを始める。

 

昼。一緒に食事。

 

さらにドライブ。

 

夜。一緒に食事。

 

さらにドライブ。

 

彼女は帰ろうとしない。

 

行く当てもなくなり、そのまま今はない宮内ツタヤの裏の駐車場で深夜になった。

 

彼女は今考えると絶望していて、

ついに泣き出した。

 

わしはもう一度クルマを走らせる。

 

どういうわけか、悠久山の方へまわり、

栖吉の山の中へ。

 

そこはわしの家のそばなのじゃが、そのあたりはあまり走ったことがない。

 

真っ暗な山の中でわしは道に迷い、急に道は細くなる。

 

わしはクルマを停めた。

 

☆     ☆     ☆

 

「Ⅿ」とわしは彼女の名前を呼んだ。「お前のお母さんに怒られるから、帰ろう」

 

時刻は1時を過ぎている。

 

彼女は黙っている。

 

「Ⅿ」もう一度わしは彼女の名前を呼んだ。「この辺、道を知らないし」

 

「この道を戻って脇へ行くと職場の人の家があるんで何度か来たことがあります。わたしは知ってます」

 

☆     ☆      ☆

 

さて、その冬のことじゃ。

 

わしの記憶が確かならば12月の初旬のこと。

 

わしとⅯはまた待ち合わせて、60キロほど北にある都市に

食事をしに出かけた。

 

会う前に携帯にメールが入った。

 

「ものすごい二日酔いなんですが、それでもいいですか?」

「大丈夫なら」

「大丈夫じゃないんですけど」

「じゃ、やめておく?」

「クルマの中で戻すかもしれません」

「停めるから、降りて戻せ」

「わかりました。イキマス」

 

☆     ☆     ☆

 

わしのクルマに乗ると、彼女は少しして

「眠ってもいいですか?」と言い、すぐに寝息をたてはじめた。

 

しばらくして、目を覚ました。

「ゆうべ友達と飲んでいたんです。10時くらい彼氏から一年ぶりにメールが届いて」

と、飲みすぎた言い訳をした。

「うまくいきそう?」

「はい。なんだか」

 

彼女はまた眠った。

 

予約したレストランでわしは一人で昼食を食べた。

彼女はわしのクルマの中で更に眠り続けた。

 

☆      ☆     ☆

 

さて、わしが中学生のときに世界地理を習ったころ、

まだスペインは独裁政権下にあった。

 

有名なフランコ政権である。

 

独裁政権下のバルセロを中心とする抵抗軍との闘いも有名で、

ピカソヘミングウェイ、そして

わしがこの世で最も敬愛するジョージ・オーウェルも当時の様子を描いている。

 

イギリス人のジョージ・オーウェル

アメリカ人のヘミングウェイも、抵抗軍側として参戦しているのじゃが、

二人の小説家のすごいところは、抵抗軍側が行う非人道的な闘いも

ちゃんと記録を残していることじゃ。

 

特にジョージ・オーウェルの見た闇は深い。

 

当時の知識人と言えば、たいてい共産主義者かそのシンパであるのじゃが、

参戦してきたロシア軍が何をなしたか、

人間の絶望が何に由来するのか、ジョージ・オーウェルの視線の行き届いた深さは

現在も驚嘆に値する。

 

平等!というスローガンの恐ろしさ。

資本!という神に反する駆動力(実はキリスト教イスラム教も長く金利を禁じていた)のすさまじさ!

 

さて、スペインは、その後わしが高校生の頃、民主化を果たす。

 

ただ、時代は流れてゆく。

 

今また、バルセロナを中心としたカタルーニャは独立を主張している。

 

時代は移ろってゆく。

 

☆     ☆      ☆

 

さて、わしは数年ぶりにⅯに偶然会った。

 

彼女も現在は二児の母親である。

 

☆     ☆      ☆

 

わしとⅯの間に、あの日栖吉の山の中で何があったのかは、

わしのブログの読者ならだいたい予想が出来と思うからにして、

詳しくは書かない。

 

今夜はこの辺で。