蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

体外離脱

養老孟司といえば『バカの壁』というベストセラーで知られるが、氏は解剖学者であるので、なかなかのリアリストである。先日某テレビ番組に出演した折、かつてのユリ・ゲラー騒動について「あれは手品でしょうね」と一刀両断にぶった切っていた。

 

同じ番組で、東大卒の典型的なアホ・立花隆が執着する『臨死体験』についても氏は、「あれは体外離脱でしょ?体外離脱は、機能低下時の脳内現象ですよ。死後の世界を証明するものじゃぜんぜんない。まぁ部屋の天井あたりから自分を見下ろすような体験というのは、人間の脳なら瀕死の状態ではなくてもしばしばやるんです。たとえばサッカーなんかでも、上から俯瞰して見るような能力を持った選手はたくさんいるでしょ?」と発言していた。

 

そうなのである。

 

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わしも体育館でフットサルをやりながら、ボールを見て、味方を見て、相手を見て、スペースを見て、それらの変化を追うという作業をずっと続けていると、ある瞬間に俯瞰に見えることがある。

 

わしの個人的な感覚としては、自分の頭のつむじのあたりから糸が伸び、糸の先に風船がついていて、その風船に目玉がついてる、そんな感じである。

 

そういう状況になったとき周囲を観察していると、実に皆ボールばかりを見ていることに気づく。ドリブルをするときにまったく周囲が見えなくなる選手はもちろん多いし、ある人間がドリブルしたりすると、まるで夏の夜の灯りに吸い寄せられるような蛾のように、視線を吸い寄せられてしまう選手も多い。

 

そういう状態の選手というのは、テレビ番組で手品師に騙される芸能人のように、ごく簡単にトリックにひっかかる。

 

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ところで、昨年の秋のことであったろうか、その夜も自分の頭の上の風船を感じながらフットサルを楽しんでいると、もう一つ別の風船が動き回っていることに気づいたた。どうやらその風船は相手チームにいる「江戸時代の俳人と一字違いの名前の男」の頭と糸でつながっており、その男が動くと風船も一緒に動いておるようである。

 

その男も首をよく振り、周りをよく観察しながらプレイしておる。そして、実際周りをうまく使う。

 

一度気になりだすと、マジで気になる。

 

自分の他に、風船を上空に飛ばしながらプレイできる男と対戦をするのは初めてである。いや、その「江戸時代の俳人と一字違いの名前の男」とは以前から毎週のように対戦してはいたのじゃが、彼がそのようにプレイをしていることに、それまでは気付かなかったのである。わしは、ちょっとイライラし、しだいにナーバスになる。

 

全員がボールに目を奪われているであろうと決めつけ、うっしっしとフリーランニングしていて、ふと気が付くと、その「江戸時代の俳人と一字違いの名前の男」がこっちを見ていたりするのである。透明人間になっていたはずが、見破られた感じである。

 

その男が実際今どこを見ているのか?首を振ったのは何秒前か?その間に動いたのは誰か?その男の視線をかいくぐるにはどうしたらよいか?そういうことを考え始める。

 

またその男は、わしがボールに目を奪われている隙に、するすると移動し決定的な仕事をしたりする。

 

株を奪われた感じである。

 

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さて、若いときであれば、ここから本格的なバトルの始まりである。

 

じゃが、わしは年寄りなので、無言の合図を送った。「わしもお前さんのやりたいプレーを阻止しようとして必死にならんので、お前さんもわしのことを放っておいてくれないか?」と。

 

「ガッテン承知のすけ」と、「江戸時代の俳人と一字違いの名前の男」は返してきた。

 

取引成立である。

 

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さて、近頃わしは、その後さらに大人になった。

 

俯瞰する選手もいれば、視野が20度くらいしかない者もいるし、中には目隠ししてプレイする奴もいる。

 

守備時には周囲が見えていても、ボールを持つとマジで周囲が見えない選手もおる。

 

それぞれの視野を推測しながら、プレイすれば良いのではないじゃろうか?と。

 

さすがわしよ!と自画自賛しようと思ったのじゃが、それでほんとの良いのじゃろうかと、自問自答するこの頃なのである。

 

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ということで次回は、「味方の癖を覚える」というテーマで書く予定じゃが、気が変わる可能性も高いので、よろしくじゃ!