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蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

勘違いと真正面さとこだわり

昨年の三月頃じゃったか、テレビで本田のインタビューを見ていて、人間というのは本当に勘違いすることと、真正面さの両面の大きさが大事だなぁと思った。

 

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どういうことかというと、人間、勘違いしなればなかなか大成しないものなのである。誰しも最初は初心者であるし、新米であるし、内心不安だらけなものである。メッシだって、デビュー戦では先輩ロナウジーニョのパスをもらってシュートに失敗し、もう一度おんなじようなパスをもらって、こんどこそ決めていたりしたものじゃが、二本目のパスが来たときは、心臓バクバクじゃったと思う。しかも当時のライカールトバルサも、スター軍団であり新入りの選手にはさぞかし眩しい選手たちばかりじゃったろう。他方、メッシは育成年代では数々の記録を打ち立てた存在とはいえ、あくまでもそれはバルサBでのこと。将来が約束されているなんてことは北朝鮮の独裁者の子どもだってありえないわけで、考えてみれば若い才能が本当に通用するかどうかはやってみなければわからない。となると、本人は不安なものである。周囲の選手はすでに実績を持っている。それに比べて自分はゼロ。この差は大きい。この差を埋めるメンタルは、そうなのじゃ、勘違いする力にほかならないと思う。

 

本田は才能はそれほど豊かな選手じゃなかったと思う。キックはものすごいものを持っていたという証言があるし、今のプレーから見ても比較的周囲は見えているタイプだと思う。しかし、それ以外の才能は、ほかの同年代の選手に優っていたとは思えない。ここで抜群の力を発揮したのが、そうじゃ、勘違いする力である。

 

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他方で、勘違いする力だけでは、なかなか成長できるわけではない。よく小学3年生くらいまでの子どもで自分は天才プレイヤーだと思っているのじゃが、実はひでーデブで、走れと命じると嫌だ!と返してくるような子どもがいるが、だいたい小学校4年生くらいから中1までの間に現実を知るようになる。

 

現実の世間と自分とに気づくわけである。

 

男という生き物は、プライドの生き物であるので、世間と自分との間にそびえる壁があまりに高いことに気づくと、その壁が見えないところに逃走してプライドを守ろうとしばしばする。逃走して、別の世界で生き生きと暮らせればそれで良いわけじゃが、若い頃は知っている世界も狭く、逃げ方も知らない。なんとなく本気でサッカーに取り組むこともしたくないし、他にやりたいことも見つからない。こうして、ひじょーに辛い季節が、やってくるわけである。

 

そんな風にならず、自分と世間の壁の高さを知りながら、真正面から努力できる人間というのがいるもので、そういう人間というのはたいていサッカーをプレイすることが何よりも楽しいのじゃろうが、それにしても大したメンタルである。

 

この真正面さがないと、通用する自分へと修正できないわけである。

 

かつての中田英寿は、自分と世界の超一流との違いを、「コントロールが5cmくるわない選手と、20cmは狂ってしまう選手」というように語っていたと、うっすら記憶するが、そういう緻密な自己認識作用が、成長してゆくには必要なことである。

 

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そして、その冷静さとアホっぽさの両輪がないと、なかなか大物にはなれないわけじゃ。

 

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もう一つ、どうもわしにはからきしないものが一つある。それは、こだわりである。

 

わしには、好きなものがいろいろあるが、それがないと死んでしまうという程のものはない。

 

肉が好きじゃが、イチローのように毎日ビフテキが食べたい、などとは考えたことがない。サッカーは好きじゃが、生中継を見るため、早起きすることはない。枝豆は大好物じゃが、うまい枝豆を食べるために、さして努力したことがない。ノラ・ジョーンズという歌手が好きじゃが、かといってアメリカに移住したりしない。

 

そもそも服装というものにも興味がなく、着慣れたものをずっと来ていたいタイプである。ハゲてきてもタオルを巻いて隠したりもしない。筋トレもするが、すぐにやすむ。フットサルのメンバーは、マサはじめ自動車が好きなようじゃが、わしは実はまったく興味がない。動けばよい。ジャズを好きなり、最近はマイルス・ディビスを毎晩聞いているが、かといって海賊版を全部揃えるつもりはない(何百枚もあり、しかも毎年ものすごい勢いで増え続けている)。あまちゃんの再放送を見て、スナックリアスのママをやっている小泉今日子のファンになりそうだが、ま、本音をいうとどうでもいい。

 

人間、ひとつくらいこだわるものがあってもおかしくないが、まったくない。なーんかないのである。

 

この辺がわしという人間のいまいちつまらない部分じゃないか、わしもこだわりというものを一度持ってみたいと希望する最近である。

 

あの本田のひどいファッションセンスを見よ!あれもこだわりのなせるワザであろう。しかし、本田はやはりああでなければ、つまらなのであって、わしも決して醜くなりたいとは思わないが、醜さを恐れぬこだわりは、一つくらいでいいから持ちたいのじゃ。

 

こだわりを持っている人間というのは、なんとなくかっこよくみえるではないか。

 

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と、愚痴をこぼしているうちに、気がついた。そうじゃ。わしにもこだわりがあったのじゃ。

 

でも、それをこれから書くのは面倒なので、いつかそんな気分になったら書く、ということにしよう。

 

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ま、そんなこだわってもいないのじゃが、見事なパスサッカーをやってみたい、というのは一つの夢である。