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蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

昨年の4月のこと

さて、今夜はブラジルワールドカップのときに感じたある違和感について書こうと思う。

 

☆    ☆     ☆

 

日本代表というのは、誰のものじゃろうか?わしは、応援する人々、つまりサッカー好きの人々のものだと思う。断じてスポンサーのものではあってはならないと思う。

 

というのは、代表を通じてわしらは、世界の中の自分たちのレベルや性格、哲学、一言でいえば、アイデンティティーを確認しているわけだ。いうなれば、日本人の民族性を確認する作業をしているわけじゃ。これは非常に公共的な作業であって、一企業ごときの好きにしてもらってはこまるのじゃ。

 

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たとえば、野球の世界では、WBC大会で日本の代表が「スモールベースボール」という非常に緻密な野球を見せてくれた時期があった。そこで、日本人の民族性を再発見したわけじゃ。(わしに言わせれば、WBCに出場しなかった松井秀喜は、いくらメジャーリーグで活躍したとしても、非国民栄誉賞モノである。和製スラッガーの世界における現在の立ち位置を示すという、日本民族の野球にとって重要な使命を放棄したわけで、お蔭で子どもたちが松井くらいになれば、WBⅭでガンガンホームランを打ちまくることができる(あるいはできない)、という「世界標準を感じる」機会を奪ったわけじゃ。そんな選手は野球人としての記録をすべて削除した方がよかろうに、と思う)

 

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さて、サッカーでも同じことである。日本代表は、世界の中で日本人がサッカーという競技で、いかにしたら自らの存在を示すことができるか、という問いに答えるべく戦っているわけじゃ。代表の戦いを見て、「まだまだインテンシティが足りないんだよなー、日本人は」などと言っているあなた!あなたは正しい。そういうことを、代表の試合を見て、日本中のサッカー好きが学んでいるのである。だからこそ、日本を代表する、日本代表であるわけだ。

 

それが、キリンの都合で戦っているとしたら、それはキリン代表と名前を変更すべきじゃろう。

 

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さて、ブラジルワールドカップ前の昨年4月頃のことじゃったと思う。ある日ある企業のコマーシャルに一斉に日本代表候補の選手たちが登場しはじめた。中には、怪我をしてリハビリ中の選手もいた。正直言ってその選手がスタミナや試合勘も含めて、万全な状態でワールドカップに間に合うとは思えなかった。

 

もちろん、4月といえば、代表選手が発表される前のことである。わしは非常に違和を感じた。彼らは、サッカー選手一個人というのではなく、日本代表選手としてCMに登場していたのじゃ。

 

わしは思った。

「ここに出ている奴らを、ザックが選ばなかったら面白いのに」

 

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実際、代表候補のなかで、エース格の選手が代表から落とされる例は、岡田のときのカズ、トルシエのときの俊輔などが記憶に残っているじゃろう。もちろん、彼らは怪我をしていたわけではない。

 

ところが、サックの時は、例のCMである。

 

最近の選挙では、開票直後に当選確実が報道され、これも異常な感じを抱かせるが、このときのCMは、二か月も前に一企業が代表を発表したようなもので、「この選手たちは、はずしませんよね、ザックさん。この選手が日本代表でしょ?国民のみなさん」というあまりに生温い雰囲気をお茶の間に垂れ流したように感じた。

 

こんなことになった原因は、分からない。

 

ザックがあまりに先発メンバーを固定しすぎたためなのか?

 

わしが危惧するように、スポンサー企業の思い上がりなのか?

 

選手選考は、監督の権利であり、大会を通じてこのように戦うという宣言でもある。岡田は、城を軸にすることを表明し、トルシエは俊輔をサブに置くことさえ邪魔に感じると言明したわけだ。

 

ワールドカップの春というのは、そのような重要な決断を監督が下すのを固唾をのんで見守る期間でもある。すくなくとも、ザック以前はそうであった。

 

ああいう緊張感が、次回は戻ってくることを、わしはねがっている。