蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

空白の間

さて、蹴球日記というからには、ボールを蹴っている様子を報告せねばなるまい。

 

このペンタの蹴球日記というのは、当初毎日30分はボールを蹴り、何か発見したこと、発見したと思い込んだことを書き綴っていたもので、とにかく実際にボールを蹴ることに喜びを見出そうとしたものだった。

 

たぶん、それがトレーニングもなっていたのだろうし、ストレスの発散にも、サッカーの上達にもなっていたと思うのじゃ。

 

ここで、告白せねばならんのじゃが、残念なことに最近では、さすがに毎日ボールを蹴ることは難しくなっている。

 

じゃが、一昨年くらいから、毎週日曜日の夜には体育館に出かけ、フットサルを楽しむようになった。週一はボールを蹴るようになったのじゃ。

 

そして、昨年12月にあるフットサル大会でわしは復活したのである。靭帯を切って以来、9年と9か月が経っていた。サッカーブログを書かなくなってからも、4~5年は経っただろうか?

 

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この間、わしの身にも、日本のサッカー界にも、世界のサッカー界にも、様々な変化が起こった。

 

今夜はその一部について書こう。

 

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2008年スペイン代表がユーロで優勝する。同年、グアルディオラバルセロナを率いいきなり3冠を達成する。サッカーの潮流が変わったのじゃ。

 

両方のチームの中心にいたのは、シャビやイニエスタというテクニカルな選手で、身体能力やスピードに恵まれたタレントではなかった。これにピンと来ない日本人はいないじゃろう。いたとしたら、女子供である。

 

日本人のサッカーの未来が開けたのじゃ。

 

当然のことながら、日本中の物わかりの良いサッカー好きは、バルセロナやスペインを支持し、これを目指した。

 

日本中の中学生や高校生たちが、バルセロナっぽいサッカーを始めたわけじゃが、

その象徴が、久保たけふさ君であったり、吉武U-17ジャパンであったりする。そして、おそらくA代表も「自分たちなり」にこの美しいパスサッカーをやってみようとしたわけだ。

 

残念ながら、日本人のやるバルセロナスタイルの模倣は、ごく少数の例外をのぞき今のところあまり成果を上げていない。

 

その例外の一つ、なでしこジャパンの優秀性には、日本の男子サッカーにはない幾つかの要素が認められる。男子サッカーがその要素を獲得したとき、もう少しばかり見ごたえのあるチームが生まれることだろう。

 

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ところが、そうこうしているうちに、世界のサッカーの潮流はまた少し変わり始めた。

 

2012年にグアルデォオラがバルセロナを退任すると、サイクルの終焉がささやかはじめ、2014年のワールドカップでは、カウンター色の強いオランダがスペインを撃破してしまった。

 

今年のモードでは、バイエルのリベリーロッベン、レアルのクリロナとベイル、バルセロナのメッシとネイマールというような、左右に強烈なウィングのいるチームが目につくようになった。

 

高速ドリブラーによるカウンターの復活である。

 

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ちょっと待った。今夜はあまりにパソコンが重いので、この辺にさせてほしい。