蘇った!ペンタの蹴球日記

あの世から蘇ってきた蹴球老人の日記

コロンビア戦

リオ・オリンピックのコロンビア戦を見た。

 

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いや、わしは満足である。このくらいやってくれれば良いのはでないじゃろうか?

 

南米の中堅どころに良い試合をしたのじゃから。

 

そうそう、最近わしはすっかり大人になったのじゃろうて、日本代表は、南米の中堅どころと良い試合をし、欧州の中堅どころと見所のある闘いをし、そしてアジアでは常に優勝争いをしてくれれば、それで満足と思うようになってきた。そしていつか再び天才が現れて、わくわくするようなW杯を見たいものじゃ、と。なんとかわしが生きているうちに、そんな風になってくれぬものかと思うておる。

 

さて、問題は対アフリカ勢である。

 

じゃが、それはまたいつか考えることにしよう。

 

 

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この試合、一番修正が出来たのは、監督じゃないだろうか?初戦のナイジェリアに対する4-3-3の採用。あれはいかがなものだったんじゃろう?

 

4-3-3と言えば、わしが繰り返し書いて来たように、相手陣へ押し込む状態を目指すことには向いている。それから、前線の3枚が守備を免除されるならば、ここへまず預けてしまってからーのカウンターにも向いているらしい。しかしながら、リトリートしてからのゾーンディフェンスには向いていない。

 

ところが、このオリンピック日本代表のチームは、珍しく4-4-2のゾーンディフェンスが「きちんとできる」チームなのである。ロンドンのときの代表も「いちおうこれが教えられていた」ということであるが、それ以上ではなかった。

 

他方で、このリオ世代のアジア予選で見られた4-3-3は、本人たちも4-3-3と言いながら、実は4-1-4-1であった。システムとしては、かなり未熟じゃったと思う。

 

それをオリンピックの初戦でいきなり採用するというのは、監督の不手際と見えてしまうのじゃが、いかがであろうか?また、監督自身も言っていたが、初戦では「多くのものを背負わせすぎた」と反省している。ただでさえ硬くなりがちな初戦に、さらに負けられないプレッシャーをかけてしまったわけである。

 

監督としてはチームのモチベーションをあげようとして力を込めたのじゃろうが、それが裏目で出たということじゃろう。

 

この辺の、日本人のメンタルというものも、大いに研究しなくてはならない。昨年のワールドカップで奇跡を起こしたラグビー代表チームには、女性のメンタルトレーニングコーチがいて、彼女は確か4年がかりでチームをサポート。「負け犬根性」にまみれた男どもの根性を入れ替えることに成功した。

 

また、どうも日本人は、緊張する局面になったとき、開き直るところまで追い詰められないと、本来の力が出せない、という傾向にあるようだ。

 

試合の中で言えば。0-2でリードされ、もう後がないという状態。この状態になって、初めて思い切りの良いプレーができるようになる。あるいは、グループリーグ初戦で敗戦してしまい、後がなくなって開き直る。

 

南アフリカのときは、初戦のカメルーン戦からうまくいったが、それまでがダメダメだった。エースの俊輔がスペインリーグに移籍してからおかしくなり、代表選でも効果的な動きができなくなる。アフリカに入ってから、岡田はその俊輔をはずし、なんと本田を1トップに持ってくるという、大博打に打って出て、チームに衝撃を与えた。初戦から切羽詰まっていたのである。また、あのときは、長友も素晴らしい活躍をした。

 

ロンドンのときの対スペイン戦は、もう相手が世界王者だったので、最初から実は失うものがないことは分かり切っていた。

 

こういう状態になったとき、日本人男性は強い。一丸となって働けるのである。

 

今回も、初戦のナイジェリアは実は世界王者だったのではないじゃろうか?その王者に対し、ごく正統的に4-4-2で挑めばずっとチャンスが作れたんじゃないだろうか?

 

というわけで、このシステム、メンタルコントロールという点で、一番切り替えが必要あったのは、手倉森監督であったが、見事それをやってのけた。切り替え、反省の早い人である。

 

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このコロンビア戦、一番活躍したのは、審判である。ハンドを見逃し、オフサイドを見誤り、PKを与え、イエローカードも相応しくないものを連発。レベルに達していなかった。

 

日本では井手口が良かった。前からがつんとうまく奪えた。やりすぎた箇所もあったが、仕方ない。19歳。まだ完成というわけにはいかぬ。

 

中島ショウヤも良いところを見せた。この二人のことは、実はわしはかなり気に入っている。

 

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さて、最近シューズというものを考えている。というか、これまで、「軽ければよい」、「薄ければよい」あとは「プーマ」ということでフットサルシューズを買っていたのじゃが、ところがどっこい。歳をとってくると、物事は単純ではなくなってしまうのである。

 

と、ここからフットサルシューズについて書こうと思ったのじゃが、急に眠くなってきたので、今夜はこの辺で。

 

 

 

 

 

ナイジェリア戦

5失点!な、なんということじゃ!

 

わずか6時間前に現地に到着したチームに好きなようになられるとは!

 

く、屈辱じゃぁ!

 

どうしてこんなことになったのか?

 

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相手がどうこういうよりも前に、自分たちのミスが多すぎた。しかし、実はアジアの予選のときの第一試合の北朝鮮戦のときも、地に足がついていたのは中島くらいで、非常にお寒い内容だった。この世代は、自信を持ってプレーすることができない。

 

その大会、決勝の韓国戦ではっきりしたように、パスが回せる韓国に対し、日本はカウンター一発という戦術しか無いチーム。アジアでさえ、そういうレベルでであるから、局面、局面で判断し、プレーを選択するということできない。

 

このチームは、守備から入るチーム。これは間違っていない。ゾーンディフェンスで低く構え、相手の攻撃を受けとめておいて、カウンターするチーム。しかし、今日の試合では、相手の攻めを受け止めることができなかった。あまりにあっけなく突破され、失点を繰り返した。

 

ゾーンディフェンスは、フラットに並んで、味方同士のカバーが間に合わなくなるケースがある。1対1が実はよりシビアに反映する。「そのスペースはお前ひとりでやれ」というお任せ時間がけっこう生じる。けれども、ゾーンを採用することも間違ってはいない。しかし、最後は局面の戦いで負けたら失点してしまう。この局面の弱さが目立った。

 

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さて、どうしたらよいのか?

 

1)フィジカルを重視する。

 

もちろん、アフリカ人のようなフィジカルにはなれない。しかし、例えば水泳の日本代表選手のように、フィジカルで圧倒的に劣りながら世界でも通用する「個人」種目もある。彼らは、「組織」で勝っているわけではない。個人の肉体と、頭脳と、精神力と、技術で戦っているわけだ。もちろん技術が圧倒的に優れているのじゃが、だからといってフィジカルを鍛えないわけではない。その総合的な高め方の道筋がサッカーにも、いやサッカーという複雑なゲームだからこそ、あるはずじゃ。

 

まだこの方面の詰め形が甘すぎる。

 

2)育成年代から欧米アフリカ勢との対戦を経験する

 

今回のチームは、自分たちの稚拙さだけでなく、相手のフィジカルに圧倒され、まともなパスワークができなくなってしまった。どれだけ慌てているんだよ、というサッカーである。1980年代の日本代表を思い出してしまったのは、あの頃の日本代表は、ディフェンスラインでもパスを回せなかったのである。今回も、相手が引いてくれないときは、ゆっくり展開することもままならず、前へ前へ、縦へ縦へ急ぎすぎ、あるいは狙いもなく蹴り込むだけ、というシーンがかなり見られた。

 

これじゃぁ、勝てんわな。

 

相手がどんなにデカくても、パスは回せるはずである。

 

相手の足にひっかかるのは経験不足であるからで、これを解消するには、より若い年代で経験をつんでもらうしかないはずじゃ。中田英寿も、U-17で対戦したときはアフリカ勢には永遠に勝てないと思ったほど衝撃を受けたそうじゃが、フランスワールドカップのときには何とかなりそうだと思ったそうである。

 

サッカー協会は、役員の数を半数以下にして更に報酬も半分にして、そのお金で育成年代の海外遠征に力を入れるべし!

 

3)17歳の謎を解く

 

玉乃淳という選手がいて、彼は16歳のときにスペインリーグのアトレティコマドリーに移籍。あちらの育成年代で3シーズンを過ごしている。そのとき、最初の1年は、「かなり自分がやれている」と思ったそうでである。アトレティコのCチームで、ほぼエース扱いだったらしい。

 

(ただ一人、例外的にうまかったのは、バルセロナイニエスタイニエスタは、次元がちがっていたらしい)

 

ところが2年目くらいから、急激にスペインの選手が成長するんであるらしい。身体のデカさも、技術も突然うまくなるんだという。

 

その中で次第に通用しなくなってゆくらしい。

 

どうも日本人は、17歳から20歳くらいまで、成長が遅いようだ。これは何故なのか?その原因をシッカリ解いた方が良いのではないだろうか?

 

あと、玉乃君もそうだが、海外へ若くして行った選手が、Jに復帰したのちパッとしなくなるケースが非常に多くて気になる。この辺も、だれか取材して、明らかにしてくれないものか?

 

4)技術を極める

 

一口に、止める、蹴るというが、シビアな局面では、「止める」、「見る」、「予測する」、「判断する・駆け引きする」、「蹴る」という複雑な過程になるはずだ。これを瞬時のうちにやらなければ意味がないし、局面の変化に即応し、判断を修正しながらプレーを選択しなければならない。

 

今日のナイジェリアとの試合でも、大島から藤春へのパスが不用意で、相手にかっさらわれて失点という局面があった。なんでもないショートパスだったが、オートマチックにポンと蹴ってしまったわけである。あの局面の左サイドでは相手選手がかなりいて、あんなにイージーにパスを出すのはもとより危険な状態だった。そういう意味では、危機察知能力が不足していたわけで、これは判断力というより、動物の本能みたいなところと関係する能力じゃないかと思う。

 

こういう危機察知の能力を含めて、ボールが自分のところに来て(インプット)から、味方に出す(アウトプット)ところまで、まだまだ知識の蓄積が日本は十分ではない気がする。

 

特に、「判断する・駆け引きする」という部分がないがしろにされているように思う。日本ではパスはワンタッチがよい、みたいな神話があるし、わしもワンタッチパスが好きな方であるが、ワンタッチパスがよく効くときと、効かずにむしろ相手に読まれやすい場合とがある。

 

(これについては、またいつか取り組んでみよう)

 

ワンタッチパスを選択するか、コントロールするか、コントロールしてワンフェイク入れてパスか、コントロールせずにそのままドリブルするか、などなど、これはすべて味方と相手次第である。「駆け引き」というのは、常に存在するはずなのじゃ。

 

5)Jリーグを強化する

 

最近のJのチームはアジアで勝てなすぎる。若手の育成もできず、トップはアジアで勝てない、そんなチームばかりのリーグに魅力があるだろうか?

 

ここはひとつ、経営者陣に奮起してもらいたいものである。

 

そのためには、ブームが必要なのかなぁ・・・・

 

今夜はこの辺で。

 

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明日は、タツに誘われてまた外サッカーである。

 

怪我をしませんように!

 

外サッカーでは、「お散歩サッカー」「ボールだけが動くサッカー」ができないものか、思案している。

 

こないだひさしぶりに(12年ぶり?)年寄サッカーというものに加えたもらって、そこでは近代サッカーの常識がまるで通用しない不思議なサッカーであることを痛感した。

 

そこにはプレスがなく、オーバーラップもほとんど見かけることがなく、サイド攻撃は非効率的(肉体的にばーかつかれる)で、コンパクトに陣形を保つことが不可能なばかりか、有効でない。

 

つまり、中央を中心にして間延びした布陣を敷くのが良いのでないかとわしは思ったのだが、もちろんまだ監督でもなんでもないお邪魔虫なので、試したりはしないが、頭の中でそれを確認しながら遊んでくるつもりじゃ。

 

また、攻撃では少しアイディアあるので、試したみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サッカー馬鹿

この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし(良寛

 

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さて、最近、水泳教室を止めたおかげですっかり膝の調子がよくなったペンタである。しかしながら、その代りぶくぶくと太りだし、6月末に比べると3キロ弱体重が増えてしまった。

 

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5月の頃じゃったか、わしは本当に体調が悪く、肩こり、目まい、動悸などの諸症状に見舞われた。あまりに辛いので、スマホで症状を入力し、検索してみると、LOHの疑があるというではないか!

 

胸に手をあててみると、思い当たる節もあるような気がした。

 

当然のことながら普段のわしは、サッカー番組を見るのが大好きであるし、当時は各国のリーグやチャンピョンズも最終節・決勝戦を迎え、大注目の時期に差し掛かっていた。それにも関わらず、あまり関心が持てなくなっていたのである。

 

思えば、11月から4月の半ばまで結構忙しく、新聞社のアルバイトもやっていられなくなり、仕事の締切に追われ神経もすり減っていたのであるが、それを無事終えて気が抜けたせいもあるかもしれない。

 

とにかく、5月になったところで、仕事も趣味もまったくやる気が起きなくなったのである。

 

膝も痛いせいもあるが、とにかく動きたくない。

テレビの前で一度ごろんとなると、もうぷくりとも動くのが億劫である。

血圧が高いのも、LOHのせいじゃないのか?!

 

「やばい!このままではわしは人間として(雄として)終わってまうのではないか?いや、終わりつつあるので、こんな症状に悩まされてしまっているのではないか?」

 

わしは希望ケ丘に新しくできた泌尿器科にすっ飛んでいった。そこでテストステロンの量を計測してくれるというのである。

 

そこに行って、テストステロンの量が減っているのを確認してもらい、ホルモン注射をがんがん打ってもらい、わしは復活するぞ!という魂胆である。

 

 

一週間後、その若い医者は分析結果を見て言った。

 

「これを見る限り、ペンタさん、あんたテストステロンまだじゃぶじゃぶ出てますけど」

 

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どうやら、ただ単に怠惰病にかかっていたらしい。

 

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さて、7月31日(日)は、わしらオヤックスは河川公園でBBQをした。芝生があるので、そこにゴールを組み立て、ミニゲームをやった。

 

だが、本格的な夏が来てしまったいたので、とにかく暑いのである。

 

昼から始め、ビールで乾杯し、つくねを焼いて食べた後で、さっそくゲームをやってみたのだが、ほんの数分でわしらは参ってしまった。

 

酔いと老化と余りの暑さに、もうぶっ倒れそうなのである。

 

わしは先日、髪形を変えたので、そのせいもあって直射日光がきつのである。

 

本格的な夏が来てしまったので公園はBBQをやっている者たちで混雑しているのではないかというわしらの心配は大きく外れ、見渡す限りのスペースである。広大な芝生空間がひろがっている。東屋に一家族がいるだけで、あとは無人なのである。ポケモンGOをしにくる中高生ですらほとんど見かけない。テニスコートにも人影がない。

 

余りの暑さに、芝生公園は不人気なのであった。

 

しかし、わしらは頑固に居座り続け、スマホで仲間を呼び出したりしながら、BBQとミニゲームを続けたのである。

 

途中、黒ワンピースの若い女が築山の周囲を3周ほどしていたこと、進撃の巨人が現れ、醜い上半身をさらして妙な動きをしていたことを除けば、わしらはずっと芝生を独占して遊んでいたのじゃ。

 

やがて、真夏の日差しも、わしら年寄の粘りには勝てず、6時を過ぎると、公園はぐっと涼しくなった。風も出て来て、旧川口町の方の空はピカピカ光っていた。そっちの方角は雨が降り、雷が鳴っているらしかった。

 

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いやいや楽しかったなぁ。

 

いつものことながら、BBQの後片付けに来てくれるマサの奥さんには、ホントに頭があがらぬよ。

 

それにしても、ボールを蹴るのはなんと楽しいことか。

 

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さて、良寛である。

 

子どものころから良寛さんのエピソードを聞かされつつ育って来たのであるが改めて考えてみると本当に奇妙な人である。

 

良寛は、若くして出家し、岡山県の玉島というところにある圓通寺と言う曹洞宗のお寺で修行をする。そして国仙和尚という師匠から印可を得ている。曹洞宗永平寺の座禅修業が有名なように、仏教のなかでも厳しい修行で知られた宗派であるが、とくに宗祖道元は口うるさい人だったらしく、事細かに修行の仕方や生き方を説いている。その中に、詩歌や書の禁止という条項もあったらしい。

 

ところが、良寛は故郷の新潟に戻ると、書や詩歌をばりばりやりだす。曹洞宗のお寺の住職になる、という道が本来の生き方じゃったはずじゃが、そこからも逸れた生き方をする。五合庵という庵に住んで、近隣の村々を托鉢をしてまわって、それで食っていくのである。

 

先日、国上山の五合庵に行ってみて驚いたのであるが、これは結構奥深い山奥にある。徒歩で村里に降りて、托鉢をしてお米を分けてもらって、帰って食すといっても、相当な距離を歩かねばらならぬ。実際良寛は、おもった以上にタフで、かなり広い範囲を歩き回り、乞食(こつじき)していたらしい。

 

しかし・・・・

 

道のべに 菫つみつつ鉢の子を 忘れてぞ来し あはれ鉢の子

 

そうなのである。良寛は、その托鉢に使う、大切な鉢を忘れて来てしまったのである。

 

なんともはや、たった一つの商売道具を、置き忘れて菫つみをしてしまうなんて、いったいぜんたいどういう人なのであろう。

 

と、ほかならぬ忘れ者帝王のわしが関心するのであるから、やはり大したものである。

 

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良寛の書は、のちに夏目漱石も夢中になってコレクションしたというほどの、日本の書家史上特別な境地に達したものである。また、和歌、俳句、漢詩いずれも見事な出来栄えが多い。特に、個人的には長歌に凄まじいものがあると思う

 

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出雲崎の庄屋の家を捨てて出家してしまった良寛(その家は弟が継いだがその代でつぶれている。父親は京都で自殺)

 

出家して、道元曹洞宗)に心酔しながらも、その教えから外れてしまった良寛(実際、晩年は浄土宗に共感していたらしい)。

 

我儘放題と言える。

 

その良寛は、手まり遊びも相当にうまかったらしい。

 

漢詩にも、和歌にも、「わしにかなうヤツはいない」みたいなことを繰り返し書いている。

 

しかし毬遊びに夢中になるのは、恐らく当時は子供だけだったろうと思う。

 

子ども相手に、かなり本気なって遊び、勝ち誇っている良寛の姿が目に浮かぶようだ。

 

子どもしかやらないであろう、毬つきを夢中になって練習する良寛というのも、圧倒的に変な人である。

 

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良寛は盆踊りも大好きで、しばしば村の盆踊りに飛び入り参加したらしい。あるとき女装して参加したことがあり、で、村人が「あの女はどこの女だ?いい女じゃないか」と語りあっているのを聞いて、大いに喜んでいたらしい。

 

村人は良寛をからかってそう言っているのであるが、良寛もからかわれて調子にのっている変な坊主を演じていたのではないだろうか?

 

おかしな人である。

 

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なんだか、こうして良寛のことを勉強していると、だんだん恐ろしい気がしてくる。

 

なんだか、誰もいない真夏の芝生公園で、サッカーに興じている自分たちの姿と重なってくるではないか!?

 

弓町のガイの家では、7月31日、雷が落ちたそうである。多分、飲みすぎたガイに奥様が落としたものであろう。

 

サッカーばかりしているタツに向かって、かのグラマラスな奥さんは「お父さん、あんな何になるの?」と尋ねたそうである。

 

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わしらは、馬鹿なのであろうか?

 

 

 

ただの運動不足?

おいおい。今季のアルビレックスは本当にヤバいえるんじゃないの?

 

ペンタである。こんばんは!

 

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4月に二度風邪をひいた。一度は初旬に、二度はGW直前である。

 

診察した町医者は二度目にクビをひねった。

「ペンタさん、どうも血圧が高いようですね。前回だけかと思ったら、今回も高い。試しに気が向いたときにご自分で血圧を測ってみてください」

 

その後も体調はすぐれず、しばしば動悸や息切れがする。そんななかでも、水泳教室には、月、火、木、金と通う。ところが水泳をすると(特にバタ足をすると)左膝に激痛がはしり、歩くのも辛くなる。歩くことばかりか、痛くて起き上がることさえ嫌になる。さらに体調をくずす。それでも、水泳教室には顔を出してしまう。さらに膝を悪くする。

 

こうして、朝起きて仕事をしている間は椅子に腰かけっぱなし、日中はほとんど動かない(痛みがあり動きたくない・動くと激痛がはしる)。夕方、水の中でのみ運動し、週末はフットサルにでかけるという生活サイクルとなっていた。

 

当然、日曜日のフットサルで膝の状態はさらに悪化する。

 

6月の下旬、ついに膝痛だけない症状がわしを襲った。肩こり、目まい、動悸、息切れが激しくなり、ふらふらするのである。だが熱はない。これは何だろうと血圧を計測してみると、上が185もあるのである(下は忘れた)。職場の美人(うちだゆきとやすめぐみを足して2で割ったような36歳)が早速スマホで検索すると、血圧180以上は危険であり、早いうちに病院に行った方がよいと書いてあるという。もう一人の美人(現バレーボール女子代表のセッター似40歳)が、自分の亭主も高血圧で、もう薬を飲んでいるのだが、それでもせいぜ150くらいであり、放置しておくのは非常に危険であることをいろいろと教えてくれる。

 

さらに、ちょうどそのころだと思うが、日曜日のフットサルの後、膝を触ってみると、尋常でない熱を帯びている。

 

わしは、覚悟を決めた。

 

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わしはまず医者に行った。

「160くらいですね」医者は血圧を測ってから、わしを安心させるように笑顔をつくって言った。「ペンタさん、まず血圧は変動するものだということを覚えてください。朝起きて、お昼、夜と、血圧は変化していますし、ほんのちょっと、医者の前で測るというだけで、高くなる人もいます。高く出たあと、深呼吸をして測ると下がったりする、そういうものだということです。それから、もう一つ。血圧は加齢とともに高くなってゆきます。加齢にともなう通常の現象なんです。血管が細くなったり、不都合が出来たりすると、それで抵抗がうまれる。その抵抗のせいで、血圧はどうしても高くなる」

 

「ペンタさんのように、半年の間に急激に高くなるのは、ちょっと不思議ですが、まずはご自宅で、一日数回ずつ計測してみて、様子を見てみませんか?」

そういって医者はわしに血圧手帳を渡した。

 

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といことで、わしの血圧計測生活がスタートしたのである。

 

とともに、生活を見直すことにする。①夜食をやめる。②生姜を食べまくる。③玉ねぎを食いまくる。④水泳教室を止める。⑤余程膝の調子が良くない限りフットサルも休む。

 

わしは規則正しい行動が苦手である。その証拠に植物をよく枯らす。以前もサボテンを枯らしてしまった。つい水をやるのを忘れてしまうのじゃ。ちなみに、36歳や40歳もサボテンを枯らす女であるらしい。そんなんでよく子育てをしているものだと思うが、それはまた違うのだろう。そんなわしが血圧は本当によく測る。朝、昼、夜と一日3回測ってきたのである。

 

その結果、わしの血圧は、ごくたまに170を超えるが、そういうことはめったになく、おそらく血圧計が誤作動したときであり、たいていは145から165の間をいったりきたりしている。

 

ところが、135-90くらいに下がるときがある。その日を見てみると、どういうわけか結構激しい運動をした日なのである。

 

まず7月2日(土)。この日は珍しく膝が痛まなかったので、自転車をのりまくっった。血圧が低い。ただし3日(日)は、膝が痛くなり、フットサルは欠席。

 

ついで、7月9日(土)。この日はタツに誘われ人工芝サッカー。血圧は驚くほど低い。よく10日(日)膝が痛くないのでフットサル参加。筋肉痛はひどいが、夜やはり血圧は低い。

 

さらに17日(日)。この日もフットサルに参加。膝が痛くなってしまいほとんど走れなかったものの、帰って血圧を計測すると、やはり120台である。

 

それ以外の日は、いずれも高い数値をしめしている。

 

なるほど。

 

わしは、今日の夜、意外に膝に痛みが回復しているのを確かめ、近くの坂道を10本ほど走ってみた。

 

自分の体が、(特に陸上では)自分で思っている以上に、うまく動かなくなっていることに驚きつつも、5月から6月の水泳教室に通っていた頃の、あの立ち上がるのも苦痛なような状態からは脱した自分に、すこし満足して帰って来た。

 

血圧を測ってみる。

139-105

 

やはり。やや高めであるが、悪くはない。

 

どうやら「運動した日=血圧が低い」という傾向は、ある。

 

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わしはすっかり安心して、明日からまたラーメンを食べに行くときは、汁まで全部飲むことにしようと考えているところなのじゃ!

 

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さて、考えてみると、わしの膝にとって水泳は非常によくないものであった。フットサルより悪いとは、どんだけ悪いのであろう?

 

水泳を習い始めて1年間がすぎ、わしはこの1年間で無事バラフライも泳げるようになり、初級教室を卒業して、中級教室でもトップで泳ぐようになっていた。

 

こう見えて、わしは習い事上手である。逆に、他の生徒さんたちは、「小学生のときに覚えたフォームのまま修正できない」「中年になって間違って覚えてフォームを変更できない」「身体が硬くなっていてスムーズに動けない」「プライドばかり高くなっていて、自分が誤ったフォームで動いていることに気づけない」人ばかりだということに気づいて、びっくりした。

 

先生の言葉を聞いていないか、聞いていても意図を理解できないか、聞いてその意図をわしが説明してやり補助してやってもそのとおりの動きができないか、一つ修正すると前に直したはずの癖が戻ってきてしまうか、その症状は様々だが、頭と身体のどちらがより重症かというと、頭がガチガチになっている人が断然多い。

 

水泳教室には、20歳から70歳までの人が通っているが、この中で「成長」が見られる人というのは、残念ながらごく僅かである。

 

頭を切り替えるということは、ほとんど不可能に近い。

 

というわけで、左膝に爆弾をかかえているわしであるのじゃが、あれよあれよという間に成長し続けた。当然バタ足のフォームも良くなる。

 

じゃが、これがわしの膝に悪かったのである。

 

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さて、17日のフットサルで面白いものを見た。

 

T先生が「双子」あるいは「兄弟」という2人が来ていたのあるが、一人がもう一人に「顔をあげろ」「そこで顔を上げろ」「おそい。もう一つ前で顔をあげろ」「さっきので顔をあげろ」と顔をあげるタイミングを繰り返し教えていた。

 

以前もそういうことをしばしば言っていたのじゃが、17日は重点的であった。教えている側の高校生(K碁)は、いよいよその部分が重点的な課題であると、認識を強めたのであろう。かなりしつこいくらいのアドバイスである。

 

わしが思うに、現在教えられている側の高校生(J)には、課題が4段階ある。

 

まず、K碁が言うようにプレーするときの「姿勢」の問題がある。

 

ついで、本当に見るかどうか(意識)という問題がある。

 

現在の彼の関心(意識)は、ボールと目の前の相手にしか関心がない。相手をドリブルで抜くことにしか関心がもてず、せいぜい目の前の相手を抜いてフィニッシュまでもってゆくこと、にしか関心が持てていない。それができないとなると、とたんにプレーが雑になる。また、一人遊びの癖がつきすぎて、動きは速いがパターン化している。で、彼にとって不幸なことに、おっさんたちはそのパターン化した動きにいつもやられているし、スピードについてゆけないので、自分の課題が見えなくなってしまっている。だが、K碁の要求はそれとは違う角度のものだ。

 

まわりと連携しろということだ。

 

サッカーというものは、彼のような幼稚な意識状態にある人間にとっては非常に難しいものだ。動きの悪くなった、まともに走れなくなった年寄相手に遊んでいるうちはそれでも充分に楽しめるだろうし、自分のプライドも高く保てるであろうが、まじめにやったとしたら自分よりも体格も読みもよい相手と対峙することになる。それに挑戦せずして、何かサッカーかと思うが、それはここではおいておく。

 

さて、サッカーでボールを保持した状態で、何を見るか。相手を見て、ボールを見て、

味方を見る。次に予測をたてる。うまれるスペースを予測する。そこに相手と味方のどちらが先に到達するかを計算する。味方が早いのであれば、そこにパスをする。同時であれば、一度ためをつくり、ワンフェイントいれて相手の到達時間が遅れるように操作する。それでもダメならドリブルを選択する。そうこうしているうちに、もう一人の味方が見えてきて、決定的なスペースに走ってくる。その前に出せれば1点確実だ。ということが見えれば、そこに出す。

 

で、Jの関心は、現在のところ、自分の周り5メートルくらいの範囲に限られている。視野だけでなく、「意識」も限定的なのだ。この範囲だけに関心があり、ゲームが存在する。

 

K碁が、現在肉体(姿勢)の矯正に入ったわけであるが、その次に本当に見ること(意識)が改善されなければならない。そして、次に「意識」にともなった「行動」が正確にできないといけない。見えて、キックしても、そのキックが出鱈目というのでは、結局パスやコンビネーションなど考えず、自分一人でドリブルだけしていれば良かった、というところに逆モドリしてしまう。

 

さて、「姿勢」「意識」「行動」と、3つの段階を書いたのであるが、もう一つの段階は「センス」である。

 

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果たしてK碁の指導はうまくいくのじゃろうか?

長身フォワード

今回のユーロを見ていて、一つ気がついたことが、ある(ぽあーん・・・NHKプロフェッショナル風の効果音)。

 

長身フォワードを置いているチームが多いではないか!

 

今頃になって、堀北真希の結婚が悔しいペンタである。

 

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さて、堀北真希の結婚はともかく、ユーロにチームには確かに長身フォワードをワントップ気味に置くチームが多かった。

 

このブログで既に登場しているイタリアのペッレ、スペインのモラタ(もしくはアドゥリス)、フランスのジルー、その他にポーランドのレヴェンドフスキ、ウェールズのロブソン=カヌ、ドイツのマリオ・ゴメスといったところが印象に残っている(悪い意味も含めて)。

 

優勝したポルトガルのように、クリロナとナニというスピード系を2人揃えたというチームは珍しい部類だろう。

 

10年ほど前ローマのトッティに始まった0トップが、やがてバルセロナにおけるメッシによって一気に世界的な注目を浴び、たとえばスペイン代表ではセスクがその役割をこなしていたことがあるように、ずんずんと世界的な潮流となると思いきや、そうはならなかった。

 

この中央にいるはずのFWの選手が、左右両ウィングよりも低いポジションからスタートするという方法論は、あっと驚くためごろ―的な、手品のような奇抜さを持っていたが、他方で論理的に考え抜かれた有効性もあったはずだ。

 

それについてここで書くと長ーくなるし、きっと以前にこのブログでも書いたことがあるような気もするので省略することにするが、それにしても中央のデンと大きい選手が構えてターゲットになるというのは、ちょっと懐かしいような気がするし、よい長身フォワードがいない日本人にとってはちょっとうすら寒いような流行である。

 

しかも彼らは結構うまい。

 

☆     ☆     ☆

 

しかし、考えてみれば、中央高い位置に味方の大きな選手がいて、ボールを一度預かってくれるというのは、それだけで後ろの選手は楽になれるし、面倒なパスワークが不要になる。しかも、そこからやっとやっとこ展開して、クロスを放り込むとその身長の高い選手の頭がゴール前にあるというのは、またこれほど有り難いものはないような気もする。

 

ゴールというものは、以前ここでも書いたように、ゴール前でフリーになった味方にいかにシュートを打たせるか、したがっていかに相手ディフェンスのずれを産み出すか、ということにつきる、とわしは思うのじゃが、実は身長の高い選手は、高さという点でもともとフリーである(マークしづらい)ので、なんだかなぁ、楽だよなぁ…てなものである。あまり工夫がなくとも、フリーなのである。マークがずれているのである。

 

だから、この方法はもう、サッカーの古典中の古典、基本中の基本のような方法で、ここのポジションに良い選手がいればチームの骨格は簡単に決まるし、スーパーな選手がいればチームは勝ち進むことになる。

 

日本代表にもかつて、西沢、久保、槙といったちょっと雰囲気のある選手はいたのはずじゃが、矢野を最後にすっかり伝統が途切れてしまった気がする。

 

また、もし攻撃する側にスペースがあるのなら、スピードのある選手というのも、相手とのズレを産み出しやすい。スピードのある選手を最前線に残し、攻められながらもロングパス一本で一気にカウンターというのも、サッカーにとっては基本中の基本、古典中の古典に違いない。

 

そして、以前から書いているように、このスピードタイプのFWも日本ではなかなか大成しない。

 

長身フォワードも、スピード系も存在しない日本人のチームというのは、今後いったいどうやって得点を取ってゆけばよいのだろうか?

 

得点の形をつくってゆけば良いのであろうか?

 

☆     ☆     ☆

 

と、思わせるようなユーロ2016であった。

 

つまり、わしはこう言いたいのである。サッカーの古典中の古典、基本中の基本が目立つ大会というのは、端的に言えば、「手っ取り早い」チームなのである。

 

守備は組織で守り、攻撃は数名の「身体能力の高さ」で違いを産み出して、ゴールする。これが今回のユーロ2016の流行だったと、わしはそう総括する。それは、かなり楽なチームづくりなのではないだろうか?楽ではなくても、簡単、単純、何よりも手っ取り早いではないか。

 

野球で言えば、ピッチャーは剛速球を投げ、バッターはホームランを狙う。そんなチームである。日本人のやる野球は違う。スモールベースボールという、「犠打」に象徴されるような複雑な手法によってコツコツと1点ずつ積みあげるような緻密な野球である。また、ラグビー代表も、フィジカルの弱さという点を前提として、戦略をつくりあげ、非常に緻密な戦略のもとにあの奇跡を産み出したわけである。

 

ここには「手っ取り早さ」は、ない。

 

日本人が世界で勝つには、あるいは世界と同等にやるには、「手っ取り早さ」に期待することは難しい。

 

複雑な部品をコツコツと緻密に組み立て、きわどく、しぶとく勝つ。こういう方法しかないはずだ。

 

だから、今回のユーロ2016を見て、きゃーきゃーゆーてるのは女こどもかのーたりんである。あいや、ミーハーである。

 

☆     ☆     ☆

 

あ、しかし、面白くなかったというわけではないんだよ。

 

今夜はこの辺で。

 ブラジルのお手本

ユーロが終わった。

 

な、なんと思ってもみなかったポルトガルの優勝である。

 

これでクリロナに闘志を燃やすメッシが代表に戻って来てくれないものか?

 

ペンタである。

 

☆     ☆     ☆

 

ところが、アルゼンチンのサッカー協会は大変なことになっていたらしい。この春以来監督以下スタッフの給料が未払いであるのじゃと。

 

タダで代表チームのサポートしようとしても、そりゃ無理でしょうな?

 

その一方で、アルゼンチンのサッカー協会には、どんでもない金額の収入が入るのじゃと。メッシを始め、あれだけの人気選手を擁するチームであるからにして、それもうなづける。

 

では、スタッフの給料はどこで消えたのじゃ?

 

・・・・そういうことなのである。

 

他方で、リオデジャネイロの空港では、警官や消防士が「地獄へようこそ!ぼくたち給料をもらっていないので、皆さんの安全は守りません!」という横断幕を掲げ、ストライキをしている。

 

ジカ熱ばかりでなく、本当に地獄並みに治安が悪化しているらしい。日本からブラジルへ渡った、移民の子孫たちが、マジで日本へのリターンを考えているらしい。

 

・・・・そういうことなのである。

 

☆     ☆     ☆

 

サッカー代表もドゥンガという南アフリカで失敗した監督に託すしかなくなったブラジルであるが、当然のようにコパでもコケた。国家としても、サッカー代表チームとしても、一気に残念な国に落ちぶれたブラジル。そのブラジルのお手本のようなフィジカル重視、規律第一のチームが現れた。今や、しなやかさやテクニックで他国を圧倒できなくなったブラジルの教科書のようなチームである。

 

そう!フランス代表である。

 

な、なんという身体能力の高さであろう。準決勝から引き続き、この日もものすごい走力を見せたマチュイディー、やや期待はずれであったが時折キレを見せたポグバ、クリロナを壊してしまったパイエ、そしてこの日ピッチ中央をドリブルで引き裂いたムサ・シソッコ!お前は漫画か!?これでまだ岡崎の同僚、カンテもベンチに控えているんだから、どれだけ身体能力の高いチームであるのじゃろう。

 

ディフェンスには、EXILEに入ってほしいような面構えのエブラと、サニャもいる。

 

まるでアフリカのチームのようである。

 

この日、試合間隔がポルトガルよりも一日短かったフランスは、延長戦を避けたいという意識はみえみえで、前半から飛ばしたものだからたまらない。筋肉痛で階段の上り下りの辛いわしは大いに驚いたのである。

 

そして思ったのである。

 

今や黒人選手の身体能力に頼るだけの魅力のないチームになってしまったブラジルは、これでいいじゃないか、と。

 

なんとなく、トルシエや、ハリルホジッチなどのフランス系のアフリカで結果を出した監督と相性がよい、そんな風に思えるし、たぶん、これは間違いないことじゃろう。

 

で、攻撃は、グリーズマンの代わりにネイマールでしょ?で、ジルーとかベンぜマの代わりに……いねーか!

 

やっぱり駄目かぁ!

 

☆     ☆     ☆

 

と、フランスとブラジルをくそみそにこき下ろしてしまったわしであるが、「期待の裏返し」ということで、真意(悪意?)をくみ取ってほしいところである。

 

さて、フランスは、現代のサッカーのトレンドを見事に示している。システムは中盤フラットの4-4-2で、コンパクトにゾーンで守る。

 

ボールを奪い、うまいなぁと思うパスワークがあるときは、たいていグリーズマンが関わっている。その他の選手は、パスワークとしてはポグバも含めて概ね凡庸な部類であり、彼らは己の身体能力をいかし、高さかスピードか強さで違いを作ろうとする。

 

これでグリーズマンがいなければ(不調であれば)、さぞかし退屈なチームであったであろう。彼とジルーの関係も素晴らしいものであった。

 

というか実は、退屈なサッカーを演じていた可能性がある。ポグバやマテュイディーは、もうちょっと「YDK」なのに、テクニックでカレーなプレーをするのを自制していたような気がしてならない。

 

こういうのでいいじゃないか!ブラジル。

 

☆     ☆     ☆

 

さて、クリロナの株が急上昇中である。

 

クリロナは、負傷交交替した後、処置をしてもらってベンチに戻ると、戦う若手を激励した。さらにいつの間にか監督の横に立って、わーわー叫んだのである。

 

なんだか、すっかりチームの精神的支柱ぽくなっているクリロナである。

 

ブラジルワールドカップの前、日本代表の本田が、「ぼくは、なんなら自分が怪我をしてプレーできなくなったときのことさえ想定に入れて準備している。そうなったときにも、いかにチームのために貢献するか、チームを勝ちに導くか、そのイメージも100%出来ている」と語っていたことを思い出した。

 

当時は、本田のインタビューを聞きながら、「こいつ変態やな!」と思い、テレビの前でゲラゲラ笑ったのであるが、こうやってクリロナの我を忘れ味方を応援する姿を見ていると、なんだか「お笑い沙汰」ではなくおもえてきたものである。

 

さて、今夜はこの辺で。

スペイン対イタリア

なんと、ブログをさぼっているうちに7月になっているのじゃ!

 

そうそう。尊敬する人はバカボンのパパである。ペンタである。

 

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さて、ユーロを少し見ているのであるが、スペイン対イタリアは生中継でみていて、途中で眠ってしまった。朝起きると、応援しているスペインが負けてしまって、がっかりしたのじゃが、納得がいかないので、録画したのをもう一度見た。

 

すると、イタリアがすごいのである。素晴らしいのである!選手は、ピルロが抜け、知っているのはブッフォンばかり。じゃが、スペインを圧倒して勝ってしまった。ガチガチに守って勝ったというのではなく、明らかにスペインに対して、ゲームで勝ち、勝負でも勝っていた。

 

もっとも、スペインの方にも負けた原因はある。デ・ヘアは思った以上に、キック精度や判断の質が悪く、ビルドアップの起点になっていなかった。シルバはキレと精度を欠いていた。ノリートはバルセロナカンテラ育ちということだが、びっくりするくらいボールコントロールが下手である。もっともだからと言って悪い選手とは言えないし、FWはゴールを決める能力があれば、百難があっても出世するので、それはそれでよいのだが、それにしても不器用な選手である。モラタはマドリーに戻るということだが、どこが良いのかさっぱりわからない。そして、ブスケツは完全に消えていた。というか、彼にはプレーするエリアがほどんど与えられていなかった。

 

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もっともブスケツが消えていたのには原因があった。相手の2トップのどちらか、特に9番のペッレがマンマーク気味にケアしていたのである。

 

この9番のペッレには感心してしまった。長身の選手であるのに、スタミナがあり、驚くほどチェイシングに走る。ブスケツのマークを任されるほどであるので、マークもうまい。そして、攻撃時にはポストに入ってターンしてからのパスもうまく、ヘディングでもラモス、ピケをさんざん苦しめていた。決定力もそれなりにありそうである。

 

☆     ☆     ☆

 

実は、わしはこの試合を3度繰り返し見たのであるが、イタリアの守備の仕方が今でも分からない。最近の欧州の守備では、多くの国でフラットラインを2つ敷く、4-4-2が主流になっているが、どうもイタリアはこの2ラインが認められない。かといって、ビエルサ一族の監督がするようにマンツーマンであるようにも思えない。

 

システムは、3-3-2-2ということになっているが、最終ラインは3バックになっていたり、4バックになっていたり、まぁ・・5人いたりもする。

 

スペインに対してまともにビルドアップとパス回しをさせなかった点は強調されるべきで、これは前からのプレッシングに始まり、ブスケツのケア、両サイドバックへの対応など、考え抜かれた守備戦術が存在したことは確実である。

 

来シーズンからはチェルシーの監督になるということなので、恐らくこのコンテ監督のサッカーがいかなるものか、分析と紹介が進んでいくことじゃろう。楽しみである。

 

☆     ☆     ☆

 

他方、攻撃時も多様で、なかなか面白い。今回のチームに、歴代のファンタジスタはいないが、その代わりに監督コンテの描いた作戦を忠実に実行するタレントが揃っているようである。

 

あるパターンでは、ペッレにボールが入ると、二人のドリブラー、エデルとジャッケリーニが一気にDFラインの裏を狙って走り込む。

 

また別のパターンでは、右サイドバックから縦パスを入れる際、右サイドハーフがラインぎりぎりを全力で降りてきて、そこで受けて、ワンタッチで中央にはたく、というものがあった。すると、どういうわけか、スペインの選手は誰もおらず、代わりにペッレか、エデルがいて、大きなチャンスになるのである。

 

また、あるパターンでは、まるで4-2-4かよと思うほど、相手陣地に人数をかけ、相手DFに圧力をかける。

 

そして、ファンタジスタはいなくても、よくパスが繋がる。それも、縦パスがよく繋がるのである。そして、縦パスがつながった後も、まるでシナリオ通りであるかのように、うまく展開するのである。

 

☆     ☆     ☆

 

というわけで、このサッカーがドイツにどれだけ通用するのか、楽しみである。

 

(コンテ監督の、プレミアでのシーズンも楽しみだ)

 

☆     ☆     ☆

 

ところで、クリロナポルトガル、ベイルのウェールズが勝ち進んでいて、準決勝で当たるようだ。

 

普段マドリーという好きではないチームに所属する選手が、しかし弱小チームの一員として必死で頑張っている姿を見るというのは、新鮮で、良いものだ。普段、あれほどエゴイスティックに見えるのに、「モドリッチが泣いているのが見えたから、(喜ぶよりも)彼を慰める必要があった」というクリロナの発言は、結構ぐっとくるではないか。また、アシュリー・ウィリアムズとともにベルギーに対する勝利を心の底から喜んでいるベイルの姿も、ベルギー嫌いのわしにとっては胸のすく思いであった。

 

☆     ☆     ☆

 

ところで、メッシは本当に代表を引退してしまうのだろうか?

 

クリロナはメッシのことでもいいことを言っている。「メッシのいないロシアワールドカプなんて考えられないよ」

 

その通りである。

 

そして、ブラジルはわしの予言どおり、現代サッカー戦術から大きく後れを取り、タレントはいても、勝てない国へなってしまい、それが定着しつつある。早くワシのアドバイスを聞いて、他の国から監督を招聘するなどして、サッカーを「学ぶ」姿勢を見せないと、忘れられてしまうに違いない。

 

こうなると、「学ぶ」ことばかりに必死の我が国と、どっちが良いのかわからない。

 

さて、今夜ははやくねて、明日はイタリア対ドイツを生で見るのじゃ!